[ 2002.06.05 〜 2002.06.19 ]
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● ニュースと感想 (6月05日)
進化論との関連。(読売・科学面 2002-06-04 )
「優勝劣敗」「適者生存」というのが、進化論の主張だが、この説の通りには行かない、という実験結果。優位な種と劣位な種を、共存させる。「優位な種だけが生き残るはずだ」と思われたが、実験では、そうならず、共存する。
例: 大腸菌の共存。培養分から栄養分を合成する能力の、強いものと弱いもの。劣位なものも滅びないで、共存する。
例: 大腸菌と粘菌。粘菌が大腸菌を食う。食い尽くしたときに両者とも滅びるかと思えたが、そうはならず、共存する。
結論。
劣位なものが存在した方が、優位なものにとって利益になるのであれば、劣位なものは滅びない。劣位なものが滅びないところに、均衡点が存在する。
さて。これは、先に述べてきたこととそっくりだ。( → 2月21日 の [補説] )
つまり、劣悪な企業があった方が、優秀な企業にとって利益になるのであれば、優秀な企業は、シェアのすべてを奪うことはなく、あえてシェアを低めにする。(たいていの場合はそうだ。)
なかなか、教訓的な話である。「経済には進化論で! 競争を激しくすれば、進化論で、優勝劣敗となり、劣悪な企業は退出する。経済はそれで成長する!」と、小泉や古典派は主張する。しかし、そんなことはないのだ。
競争を激しくしても、劣悪な企業は必ず残る。なのに、「劣悪な企業を退出させるために、どんどん競争を厳しくせよ! 企業にどんどん冷や水を浴びせかけよ」なんていう主張は、根本的に間違っているわけだ。
前日の読売の説は、「企業を甘やかせ。企業を優遇せよ」というもの。上記の小泉・古典派の説は、「企業に厳しくせよ。企業を冷遇せよ」というもの。どちらも間違いだ。
たしかに、企業の体質強化は大切だ。しかし、そのためには、優遇したり冷遇したりするべきではない。国のやるべきことは、そんなことではないのだ。
国のやるべきことは、状況を、正常な状態にすることだけだ。正常な状態であれば、そこでまともな競争によって、経済はまともに発展する。だから、異常な状態のときは、その異常な状態をまともに修正すればいい。(「消費不足」という状況であれば、総需要を拡大すればいい。)
一方、状況を異常な状態にしたまま、企業に直接干渉しようとする人々もいる。これはたとえば、寒さで草木が育たないときに、「寒くて草木が育たないなら、寒さに構わず、肥料をどんどんやれ」とか、「寒さに抵抗できるような品種だけが生き残れるように、どんどん寒さを浴びせよ。そうして、耐寒性(低収量)の品種だけを生き残らせよ」とか、そんなことを主張するようなものだ。まったく、お門違いだ。
結局、物事の本質を理解しない半可通の人々が、「企業に減税を」とか、「構造改革を」とか、そういうお門違いなことを主張するわけだ。
(なお、この両方を、同時に主張する人もいる。「企業にアメを、企業にムチを」と同時に主張しているわけ。矛盾している。かつ、サドマゾである。ピシッ。)
● ニュースと感想 (6月05日b)
朝日のデタラメ記事。(朝日・朝刊・経済面 2002-06-04 )
統計データを恣意的に解釈するデタラメ記事の例。マスコミというのは、こういうのをいくらでもやるので、ここでも注意を喚起しておく。
主題は、「日本の銀行は、外国の銀行に比べて、収益性が悪い」というもの。その根拠として、「利益が多いか少ないか」を見る。総資産に対する利益率(ROA)や、総資本に対する利益率(ROE)など。これらが外国の銀行に比べて少ない、と主張する。
馬鹿げた主張だ。たしかに利益の数字だけを見れば、少ない。しかし、その数値は、日本の銀行は、不良債権処理のせいで、どこでもマイナス(利益が赤字)なのだから、こんな数値は、単に「不良債権処理の額の多少」を示しているだけにすぎない。企業の収益力とは、何の関係もない。こんなのを根拠にして、「(現在の)収益力が悪い」と結論することはできない。
企業の収益力を見るには、「一人あたりの業務利益」を見る。この数値は、記事では(本文ではなく)欄外にデータとして出ている。これによると、三井住友が抜群に多く、東京三菱の倍である。だから、「三井住友は収益力が強く、東京三菱は収益力が並みである」というのが正しい。
しかるに、朝日流の論法では、単に(不良債権処理後の)利益率だけを見ているので、「東京三菱は収益力が強く、三井住友は収益力が弱い」となる。これはもちろん、間違いだ。
つまりは、朝日は、利益と業務利益との違いを理解できないのだ。帳簿の読み方を知らないのだ。
朝日に勧告しておく。帳簿の読み方のイロハぐらい、ちゃんと学んでおくべきだ。企業の損益を見るには、営業利益とか、税引き後利益とか、業務利益とか、いろいろある。それらをごっちゃにして「利益が多い、少ない」なんて比較しても、意味はないのだ。
今、日本の銀行は、赤字である。なぜか? それは、過去の経営が間違っていたことを示す。現在の日本の銀行の経営が間違っていることを示しているのではない。ツケ払いとは、過去の誤りを意味するのであり、現在の誤りを意味するのではない。過去の経営がダメだったせいで、今の日本の銀行が大幅な赤字を出しているからと言って、「赤字だから日本の銀行はダメだ、収益力が弱いから収益力が強くせよ」なんていう今回の主張は、根底から完全に間違っているのだ。無知による詭弁。
そもそも、ROAやROEを見るだけなら、「日本の銀行は赤字だから劣悪だ。みんな倒産させてしまえ」という理屈になる。過去の繰り越し損失だけを見て、現在の実質的な利益を見ないと、こういうメチャクチャな理屈になる。
( ※ 正しくは、「日本の銀行が赤字なのは、過去の不良債権のせいである。だから、赤字を出せば出すほど、ウミを出していることになり、健全化の過程が進んでいることになる」である。また、外国の銀行と比べるのなら、ROAやROEなんかではなく、一人あたりの業務純益を見て比べるべきである。)
[ 補説 ]
ついでだが、朝日の主張は、根本的におかしいところがある。
「銀行の収益性を高めよ。利ザヤを増やせ」という主張だ。しかし、そんなことをすれば、その利ザヤの分、企業は融資に、高い金利を払わなくてはならない。
「日本の企業が急成長を果たしたのは、銀行が低い利ザヤで、低い金利で貸し出してくれたからだ」という点を見失っている。
なるほど、一般企業なら、利益率が高いことは、好ましい。それは高付加価値の商品を生み出しているということだからだ。「高くても売れる」という、それだけ質の良いものを生み出しているわけだからだ。(これは、高い生産性をもたらし、経済を強化する。)
しかし、「銀行が利ザヤを増やせ」というのは、単に、「高利貸しになれ」と言っているのと同じだ。銀行はそれでいいかもしれないが、借りる側の企業は大迷惑だ。
朝日の主張が正しければ、最もあるべき姿は、サラ金会社だ。年利 20% 〜 30% の高金利で貸し出す。サラ金に次いで、市中金融があり、資金繰りの苦しい企業に対して、年利 10% ぐらいで貸し出す。
こういう高利貸しは、収益力が強い。では、それは、これらの高利貸しが生産性が高いからか? 違う。単に他人の富を奪っているだけのことだ。
話をマクロ的に理解するべきなのだ。いくら銀行が富を増やしても、その分、一般企業が富を減らしては、何にもならない。それどころか、経済全体にとっては、逆効果ですらある。
結局、朝日は、マクロ経済学を理解できず、高利貸しを擁護しているにすぎない。
[ 付記 ]
今回の記事は、2面にも関連記事がある。
これについては、11月23日b に関連する話があるので、そちらを参照。(リンク先も。)
● ニュースと感想 (6月06日)
「不良債権処理は、低い価格で一挙に売却すれば、さっさと済ませることができたはずだ」という意見。(朝日・夕刊・株式面コラム「経済気象台」2002-06-04 )
次のような主張だ。
「土地の公示価格は、実勢価格よりも上だった。公示価格を廃止すればよかった。そうすれば、買いたい人の望む価格に設定できるので、一挙に売却ができて、不良債権処理は一挙に済んだはずだ。そうすれば、今のように不良債権処理で苦しむこともなかったはずだ」
これは、間違っている。
だいたい、「実勢価格ですべて一挙に売却する」なんてことは、不可能だ。ここのところを理解していないと、「資産インフレはすばらしい」という考えになるが、それと同じだ。
土地の市場価格というものは、取引が行なわれている少数の取引例だけで決まる。その価格は、一応、正当な価格ではある。しかし、その正当な価格で、すべて一挙に売却ができるわけではない。もし一挙に売却しようとすれば、途方もない低価格(不当な低価格)に下がる。そして、その結果は、不良債権の持主(銀行など)に莫大な負担がかかる。
で、そんなことをして、いったい、何がいいのか? 帳簿主義者はやたらと、「不良債権処理をせよ」という。しかし、「不良債権処理」というのは、単なる赤字の顕在化にすぎない。「 100億円の赤字が出そうだ」というのが、「まさしく 100億円の赤字が出ました」となるだけだ。しかも、みんながそろって同じことをやれば「 100億円の赤字が出るはずだったが、 200億円の赤字が出てしまった」となる。(合成の誤謬。)
まったく、経済の実態というものを無視して、単に帳簿の数字だけを見る人が多いのには、困りものだ。大事なのは、帳簿をきれいにすることではない。実際の経済が好転することだ。つまり、生産が回復し、失業者が減り、人々の所得が増えることだ。それが本質なのだ。……そして、そのためには、帳簿をきれいにしようと考えているだけでは、ダメなのだ。そんなことでは、状況を良くするどころか、悪化させるばかりだ。
帳簿主義者こそが、日本経済を破壊する。
[ 余談 ]
帳簿主義者は、どうせなら、こう言うべきなのだ。
「日本政府は財政赤字がたくさん溜まっている。日本は不良債権だ。だから、不良債権処理せよ。日本政府を破綻させて、施政権を外国に売り払う。日本政府を丸ごと、アメリカに買い取ってもらおう!」
「アメリカが買ってくれなければ、買ってくれるまで、いくらでも値を下げよう。そうすれば市場で適正な価格になる」
小泉あたりは、それで喜ぶだろう。「日本はアメリカの 51番目の州になるぞ! 万歳! これで私もアメリカ人!」と。しかし実際には、植民地か属領になるだけだ。プエルトリコ並み。あるいは、奴隷化。
● ニュースと感想 (6月06日b)
「不良債権処理で景気回復」という主張は、なぜダメなのか。── そのことを、簡単にまとめておこう。
そもそも、論者の言う「不良債権処理で景気回復」というのは、経済学的に、理屈になっていない。それでなぜ、生産が増え、消費が増え、経済が成長するのか、論理が成立していない。(論理的に考えれば、企業体力が弱まり、失業者が増えるわけだから、生産も消費も縮小するはずだ。)
結局、彼らの主張は、次のことだ。
「帳簿をきれいにして、すっきりしよう。そうすれば企業財務は、健全化する」
「そのためのお金は、空から降ってくるはずだ」
常識的に言えば、不良債権処理には、金がかかる。その金は、空からは降ってこない。となると、自らの体を削って、その金をひねり出すこととなる。
企業の財務体質が十分なら、そうしてもいいだろう。しかし、財務体質が劣悪なら、不良債権処理をしたとたんに、債務超過となって、倒産する。そして、倒産すると、その企業に対する債権もまた、不良債権となる。新たに不良債権が発生して、不良債権の増殖が起こる。かくて、不良債権処理をやればやるほど、不良債権は増える。
これが経済学の示すことだ。
しかし、「不良債権処理」論者は、そう考えない。彼らは「金は空から降ってくる」と考える。「不良債権処理には、金はかからない。自らの体を削る必要もない」と考える。そして、もしそれが正しければ、彼らの主張は正しい。
実は、実例がある。日産自動車だ。日産自動車は、不良債権処理を大幅に実行して、財務体質を健全化した。そのあと、黒字化した。そして、これを見て、「不良債権処理をすれば健全化するのだ」と論者は主張する。
しかし、ここには誤解がある。日産の場合、まさしく「金は空から降ってきた」のである。具体的には、ルノーからの増資だ。増資によって、7000億円程度の金を、ルノーから得た。だからこそ、日産は、不良債権処理をできた。
では、もし金が空から降ってこなかったら? もちろん、日産は倒産していただろう。不良債権処理をしてなければ、存続できたかもしれないが、不良債権処理をして、かつ、金が空から降ってこなかったら、債務超過ゆえに、日産は間違いなく倒産していたはずだ。そして、日産が不良債権となったことで、不良債権は大幅に増殖していただろう。連鎖倒産も莫大に発生していたはずだ。
そういうことだ。不良債権処理論者のいうことが正しいのなら、「日産を倒産させてしまえ」「日立も東芝も富士通も、みんな倒産させてしまえ」「日本中を不良債権の嵐にせよ」ということになる。
それとも、別のことを考えているのだろうか? 「日産に空から金が降ってきたように、日本中の他の会社にも、みんな空から金が降ってくるだろう」と。「ダイエーにも、マイカルにも、山一証券にも、空から金が降ってくるだろう」と。
馬鹿げた話だ。日産にルノーが出資したのは、日産に技術力があったからだ。日産には、技術力があり、経営力がなかった。だからルノーは、資金と経営者の双方を提供した。── そういうことが、日本中の企業に、みんな成立すると思ったら、大間違いだ。
ついでに言っておこう。日産が黒字化したのは、不良債権処理をしたからではない。企業体質そのものを変えたからだ。(コストダウンや無駄減らし。)
大事なのは、経済の実態である。空から金が降ってくるだろうという夢想ではない。
「不良債権処理」論者は、みんな、きれい好きだ。彼らはこう考える。「さっさと借金を返済して、帳簿をきれいにしよう」と。彼らが経済を考えると、こう結論する。「清く正しく進もう。そうすれば、金が儲かるだろう」と。しかし、そんなのは、経済学でもないし、真理でもない。ただの妄想である。
● ニュースと感想 (6月07日)
「相続税」について、政府が新方針。「相続税の最高税率を引き下げる。その財源として、所得税の控除額を減らして、増税する」とのこと。(各紙・朝刊・1面 2002-06-05 )
つまり、超大金持ちのドラ息子に、何十億円かの大金をプレゼントする。その金は、国民全員から何万円かの金を奪ってまかなう、というわけだ。ごく少数のドラ息子がますます富み、一方で、国民のほぼ全員は富を減らす。── で、これで景気が良くなりますかね? 消費や生産は増えますかね?
ま、「相続税の最高税率を下げよ」と主張してきたエコノミストは、自説の通りになって、大喜びだろう。増えた分だけ見て、減った分を見ない。他人の富が増えて喜び、自分の富が減って喜ぶ。まったく、何考えているんだか。猿並み。
たとえ話。
動物園で、猿が「バナナを寄越せ」とうるさいので、飼育係は、猿の手元にあるバナナを 10本奪って、ライオンに与えました。ライオンはバナナなんかほしくないので、10本を、穴に入れておきました。すると、そのうち1本が、こぼれて、おこぼれとなって、猿の手に入りました。猿は「バナナを1本もらった! おこぼれをもらった!」と大喜び。
( ※ こういう猿並みのエコノミストやマスコミを見て、財務省は、「ふふん」と馬鹿にしているはずだ。「猿を相手に、猿回しするのは、簡単だね」と。)
[ 補説 ]
「相続税の減税は、景気を悪化させる」── このことを経済学的に完璧に証明しておこう。
相続税を減税すれば、それによって、景気刺激効果はある。しかし同時に、景気悪化効果もあるのだ。なぜなら、金の総量は、一定だからだ。
減税があれば、その分、国の歳入は減る。それがいやなら、他分野で増税するしかない。そして、国の歳入減にせよ、他分野での増税にせよ、とにかく、その分、金の支出が減る。それによる景気悪化効果がある。……つまり、減税があれば、ちょうど同額、歳入減か増税か、どちらかがあるわけだ。
本来ならば、この景気刺激効果と景気悪化効果は、トントンになるはずである。しかし、実際には、そうはならない。なぜか? 消費性向が異なるからだ。一般国民の消費性向は 0.7 ぐらい。1兆円の増税で、7000億円の景気悪化。国の歳入減ならば、それによる消費性向(みたいなもの)は 1.0 ぐらい。1兆円の歳入減で、1兆円の景気悪化。いずれにせよ、7000億円から 1兆円ぐらいの景気悪化となる。一方、相続税の最高税率を下げて、1兆円を減税しても、それによる景気刺激効果は、ごく小さい。なぜなら、超高額の遺産相続者の消費性向は非常に低いからだ。たぶん、0.1 以下だろう。これによる景気刺激効果は、1000億円以下。結局、差し引きして、6000億円〜9000億円の景気悪化となる。
証明終わり。
( ※ この話の核心は、「超高額の遺産相続者の消費性向は非常に低い」ということだ。たとえば、税引き後で 10億円の遺産を相続しても、その全額を1年間でパッと使ってしまうことなど、まずありえない。たいていの人は、一生で一度しかない遺産を、1年で使い切ることはなく、残りの全人生をかけて、少しずつ使うはずだ。もちろん、すべてを使うわけでもなく、自分の息子にも残す。それが普通だろう。10億円すべてを使うには、100年ぐらいかかりそうだ。政府なら、その分を、1年で使っちゃうんですけどね。)
( ※ なお、もう一つの理由がある。たとえば、 10億円の遺産を相続しても、まとな人間なら、悲しみに打ちひしがれ、最初の1年間は、ほとんど金を使う気になれないはずだ。何年かたって、悲しみが薄らいだころ、ようやく、少しずつ使う気になる。「巨額の金をもらったら、すぐに全額をパッと使ってしまうはずだ」と主張する経済学者は、私には、とうてい理解しがたい人種である。無計画。経済観念なし。人格的な破綻者。親の死を「今か今か」と待ち望んでいた、人でなし。……ま、経済学者というものは、たいてい、そうだが。そして、こういうデタラメな人々によって、日本の経済は動かされているのだ。今回の税制改革もそうだ。)
( ※ なお、反論もある。「相続税の減税で、子は、住宅を建てるので、住宅建設による波及効果が、大きく出るはずだ」と。── なるほど、それは、一般国民において「生前贈与」があったときならば、成立するかもしれない。しかし、「相続税の最高税率引き下げ」には、当てはまらない。最高税率に該当するような金持ちの息子は、もともと豪邸に住んでいるはずだし、たとえ豪邸でなくても、まともな家に住んでいるから、住宅なんか今さら必要ない。「住宅を欲しがる」というのは、貧乏人の発想であり、金持ちの発想ではない。もちろん、金持ちの息子は、巨額の遺産を相続しても、それをすべて住宅建設に回すことなど、ありえない。ほとんどは貯蓄に回す。……だいたいね、貧乏人は金を使いたがるが、金持ちというのは、金を貯めたがるものなのだ。だから貧乏人はますます貧しくなり、金持ちはますます金を増やす。)
( ※ 金持ちの息子は、もともと豪邸に住んでいる。── このことが理解できない読者が多いだろう。そこで、説明しておく。金持ちの息子の家は、金持ちである親が、自分の名義で建てるのだ。自分の名義で建てて、自分で所有して、そこに、息子を住まわせる。それだけのことだ。生前贈与なんか、まったく必要ない。だから、「生前贈与で、住宅建設を増やして、景気回復」なんて説は、金持ちの場合は、全然成立しないわけだ。)
[ 付記 ]
冗談を言っていると思われては心外なので、経済学的に定式化しておく。
・ 減税による景気刺激効果は、対象者の限界消費性向に依存する。
・ 金持ちの限界消費性向は、やや低い。
・ 一時的な超高額所得を受けた人の限界消費性向は、ごく低い。
(例:欧米の宝くじの十億円の当選者。大部分が貯蓄。)
・ 相続税の最高税率の引き下げは、上記の三点ゆえ、最も効果が悪い。
・ 間抜けな経済学者は、プラスだけを見て、マイナスを見ない。
● ニュースと感想 (6月07日b)
政府が「外形標準課税」を導入する方針。(各紙・朝刊・1面 2002-06-06 )
この方針自体は、好ましい。しかし、注意が必要だろう。劇薬みたいなもので、取り扱い注意。
企業規模のとらえ方が問題だ。たとえば、「従業員数」を基準にすれば、「人頭税」になるから、企業はなるべく雇用を減らそうとする。ただでさえ悪い失業率がどんどん上がるし、企業は従業員を減らすために長時間労働を強いる。悪い方に「一石二鳥」の効果がある。最悪。
「企業規模に課税する」という方針そのものが誤っている、と私は考える。規模が大きいことは、悪いことではないのだから、こんなことを課税基準にするべきではない。課税基準にするべきは、企業の規模ではなく、(企業の)経済活動の規模である。経済活動が大きければ、それだけ社会資本を利用していることになるのだから、その分、課税すればよい。
次の二つを提案する。
(1) 粗利益に課税
粗利益に課税する。その点、消費税と同じだ。ただし、消費者への転嫁を防ぐために、次の措置を取る。
たとえば、粗利益に対して、2%を追加課税する。この2%の分は、法人税を納めていれば、免税する。たとえば、好決算の自動車会社は、利益が莫大で、法人税も莫大だから、この2%の分を払わずに済む。つまり、もともと莫大な税金を払っている会社は、上乗せはなし。一方、赤字決算の会社は、もともと税金を払っていないので、この2%の分、税金を払う。
かくて、経済活動の規模に比例して、最低限度の税金を払うことになる。もともと多く払っている会社は、上乗せはなく、もともと払っていないところのみ、上乗せがある。
(2) 社会資本の利用に課税
社会資本の利用度を、個別に計測して、個別に課税する。
たとえば、廃棄物をたくさん出す産業は、ゴミ処理費を自治体に払わせていることになる。その分、石油化学製品などに課税する。
同様の理由で、(古紙の再利用でなくでなく)新品パルプにも、課税する。(環境保護の狙いもある。 → 5月25日d の最後 )
道路利用への課税もある。トラックを使うということは、道路をたくさん利用しているわけだし、同時に、排ガスを出したり、騒音を出したり、交通事故で人命を奪ったり、大いに社会迷惑をかけているのだから、その分、課税する。たとえば、トラック1台あたり、年額 20万円。
( ※ 台数あたりで計算するわけは。……走行距離で課税するのは、できればいいが、困難。というのは、燃料課税に個人と法人の区別ができないから。なお、業務用の自動車はフル稼働しているから、走行距離による差はあまりない。)
( ※ 現実には、どうか? これとは逆になっている。個人の自動車に比べ、業務用のトラックはずっと低額の税である。そのせいで、トラックが過剰に走り回り、渋滞を引き起こして、日本に多大な経済的損失を与えている。コンビニは、自分では在庫商品の倉庫を持たず、1日に5回もトラックで配達を受けている。そうして渋滞を引き起こす。道路を倉庫にしているようなものだ。国民の富を奪って、自分が儲かるわけ。一種の泥棒である。こういう泥棒行為を取り締まるため、課税をするのは、当然だ。……ただし、企業経営者は、たいてい反対するはずだ。彼らは根性が泥棒根性であって、いかに国民の金を盗んでやるかということばかり考えている。)
( ※ 余談だが、「利益を上げて、法人税を多く払って、社会貢献しよう」と主張する経営者もいる。本人は、大得意。しかし、これも間違い。納税は、当然の義務であり、社会貢献なんかではない。国民は税務署に常にそう言われている。そもそも、米国の企業は、本格的にメセナを実行している。日本の企業経営者たちが、いかに性根が腐っているか、よくわかる。)
[ 付記 ]
経済学では、本項に似た話は、「公共財」とか「公共経済学」とかの用語とともに語られる。特にたいした話があるわけではない。専門家ごっこしたい人は、そういう話を読んで暇つぶしするといいだろう。
[ 追記 ]
「従業員数」でなく、「人件費」に課税する方式もある。しかし、これも不適切。同じ経済活動をするのに、人間を使わず、機械を使えば、免税されることになる。
たとえば、切符販売。人間がやれば、企業は金を払わなくても、従業員が所得税を払う。切符自販機がやれば、1円も税金を払わない。(利益が出れば法人税を払うが、利益が出なければ1円も払わない。) これが現況なのに、さらに「人件費への外形標準課税」をすれば、その傾向がいっそう高まる。その結果は? 失業者が増え、一方、国の歳入は減る。(所得減少による、所得税の歳入減。)
同じ経済活動をやるのに、人間がやっても機械がやっても、課税は平等であるべきだ。現状はいびつだが、「人件費課税」はそのいびつさをさらに増幅する。
( → 3月28日b の (1) )
● ニュースと感想 (6月07日c)
「変動金利型の長期国債」を政府が発行。半年ごとに、市中の長期金利に応じて、金利を変更する。規模は 3000億円。(読売・朝刊・経済面 2002-06-06 )
3月19日 の (3) でも記述しておいたが、とにかく、こういうのが実現したわけ。ついでだが、広告写真は、藤原紀香。
● ニュースと感想 (6月08日)
「韓国の構造改革」の話。小泉の構造改革は口先だけだったが、韓国の構造改革は次のようなものが実現された。(新潮社PR誌「波」2002年6月号 34頁。)
- 財閥解体。(各社が財閥から独立。買収されたり。)
- 事業交換。(日本で言えば、日立の家電事業を松下に移す、というようなことを、政府の主導で行なうわけ。)
- 経営者の若返り。老害経営者や退任して、40代 〜 50代が当たり前になる。
- 金融システムの抜本的な改革。銀行経営者は全員退任。
厳しいですねえ。甘やかしてダメにするのとは正反対で、民間企業を徹底的に体質改善させるわけ。
ひるがえって、日本では? サプライサイドの経済学者は、「企業に減税で金を与えよ」と甘やかすばかり。読売も同様。(朝日は我田引水で、見当違いの主張。 → 1月27日 )
日本も韓国と同様にすればいいのだ。甘やかさず、厳しくすればいいのだ。「赤字だから何とかしてくれ」と国に泣きつくような経営者は、無能な老人ばかりなのだから、さっさとクビにしてやればいいのだ。馬鹿な企業に、経済体質を強くするよう迫ることこそが、構造改革である。口先だけで、「構造改革、構造改革」とお経のように唱えても、何にもならない。(たいていの経済学者がそうしているが。)
[ 付記 ]
政府の介入、というのは、基本的には好ましくない。しかし、日本の企業では、株式持ち合いによって、無能な経営者の座が保護されている。こういういびつな状態に対して、「経営者は責任を取れ」と政府が口先介入するぐらいは、許されるだろう。
だいたい、経営に失敗したら、辞任するのが常識だ。政府や他人に言われるまでもない。日本の企業経営者は非常識だ。やることと言えば、「国はお金をください」と言うことばかり。彼らは、経営者よりは、乞食に向いている。
● ニュースと感想 (6月08日b)
「首相公選制」の関連情報。
フランスは大統領制を実施しているが、最近、「大統領制から、議院内閣制に移行しよう」との意見が強まってきている、とのこと。理由は、権力が集中しすぎて、独裁気味になり、国民の声が政治に反映しにくくなるため。(朝日・朝刊・海外面 2002-06-07 )
なお、「大統領制」については、私も批判的である。( → 首相公選制の私案 )
[ 余談 ]
現況での問題は、無能な首相の座が保護されている、といういびつな状態だな。「首相は責任を取れ」とみんなが言っているし、不支持率が上回っているのに、居座っている。一種の独裁状態である。こうなると、「首相公選制」もへったくれもない。「首相罷免制」(リコール)の導入の方が先決かも。さっさと立法化してくれませんかね。立法化して、適用第一号が小泉になったら、こんなに痛快なことはないのだが。「これぞ政界構造改革」とみんなが拍手するだろう。
[ 付記 ]
「首相罷免制」の私案。(真面目です。)
現行では、「議会による不信任決議」があるが、こんなのは、役立たない。与党が否決するに決まっているからだ。これでは民意は反映しない。そこで、以下の提案。
(1) 議会の 45% の賛成で、「予備調査」を実施。
(2) 「予備調査」は、世論調査。首相の支持率・不支持率を調査する。
(3) 「予備調査」で、不支持率が上回ったら、本選を実施。
(4) 本選では、「信任・不信任」を国民投票。
(5) 「不信任」が過半数になったら、辞職または解散。
● ニュースと感想 (6月08日c)
日産自動車の話。
「エルグランド」という新車のデザインが好評。私も「とても良い」と思った。好き嫌いは別として、独創性があり、完成度が高い。プロのデザインである。
「日産という、駄作デザインばかり出す会社が、なぜ?」と不思議に思ったら、理由が判明した。デザインは、日産のデザインではなく、子会社の「日産車体」のデザインである。
さて。本社の方は、スカイライン、プリメーラと、大失敗の連続である。(性能が良くても、デザインが悪いせいで、ちっとも売れない。 → 5月11日d )
最近では、「フェアレディZ」がある。「どうも変な感じだな」と思ったが、気が付いた。これは、アウディのクーペ(有名)の下手なパクリだ。しかも、アウディのクーペはFF(前輪駆動)だから、前半に重みのあるデザインで当然だが、フェアレディZはFR(後輪駆動)なのに、前半に重みのあるデザインであるから奇妙である。デザイン的に破綻しているし、前後重量バランスが崩れているから性能的にも悪い。(後輪がスピンする。)
日産は、なぜ、こうもダメなデザインの車ばかり出すか? デザイン部長が、Nという高齢のデザイナーで、この人が全権を握っているからだ。昔から変なデザインばかり出す人だったが、そのせいで、会社全体が変なデザインに染まっている。
老人が権限を握って独走すると、会社全体がダメになる、という例だ。(本日の他の項と関連する。小泉とかね。)
● ニュースと感想 (6月09日)
「中田が今回限りで、W杯代表から引退! その意思を固めたと周辺に語る」という朝日の誤報。理由は、チームのために尽くすのはイヤで、自分の好きなようにプレーするため、とのこと。(朝日・朝刊・1面 2002-06-06 )
これに対して、中田本人が記者会見して、強く否定した。「憶測や嘘の記事が出るのは残念」と。( → スポーツナビ )
ところが、各紙でこの記者会見が大々的に報道されているのに、朝日は無視しているようだ。自分の記事を「嘘」とはっきり断定されたのに、知らんぷりして、訂正しない。(経済面でも、社会面でも、そうだ。朝日の体質ですね。)
[ 付記 ]
「本人の周辺にいる人物が、『本人はこう語ったよ』と真っ赤な嘘を述べる。それを真に受けたマスコミが、誤報する」というのは、よくあることだ。裏を取らずに報道するわけ。勇み足。
こういう間違い自体は、珍しくない。ただし、間違いを訂正しないマスコミは、けっこう珍しい。朝日特有かも。── 過ちて改めず、これを過ちという。(もじりを言うと: To error is human, to forget is Asahi's. 「過ちは人の常。空とぼけは朝日の常」。ついでだが、「人は高潔に生きよ」と声高に主張するのは、朝日の社説です。)
● ニュースと感想 (6月09日b)
サッカーと経済。
「サッカーと経済は似ている」などと主張すると、「また南堂がホラを吹いている」と思うかもしれない。しかし、実は、両者はけっこう似ているのだ。なぜなら、どちらも国民性が現れるからだ。
日本では、サッカーで、FW(フォワード)には良い選手が現れない。世界各国と比べても、日本だけが特別に、長年、良いFWを欠いている。なぜか? それは、FWは、ことさら個性的な性格が要求されるからだ。「独善性」とか「わがまま」とか「自分勝手」とか言ってもいい。とにかく、協調性とかチームプレーとかとは、正反対だ。チームのためにはろくに働かず、ふだんはサボっていて、肝心要の一瞬だけに、特別な鋭さを発揮する。そういうことが要求される。いわゆる「天才肌」である。(あるジャーナリストが言っていたが、優れたFWはたいてい、「殺し屋」か「凶悪犯」みたいな顔をしているのだそうだ。なるほど。言い得て妙だ。)
さて。こういうことは、日本人の国民性とは、正反対である。仮に、こういう人物がチームにいれば、普通、浮き上がってしまう。排除されることもある。だから、日本には、優れたFWは現れない。現れないというよりは、残らない。
この点、韓国とは、異なる。韓国人と日本人は、生物学的には、異常に接近している。体格や体質でも、ほとんど同じだ。(顔だってそっくりだ。)しかし、国民性は異なる。日本人は、協調性が最優先。韓国人は、そうではない。だから、韓国には、優れたFWが輩出する。(逆に、韓国では、MFはあまり優秀な人は現れないが。気配りが下手なせいらしい。)
話は転じて。こういうことは、経済とも関連する。日本の会社では、協調性が最優先であり、独創性のある人物は、「協調性が欠けている」として、排除される。だからこそ、日本の会社は、独創性の面では、かなり不利なのである。
もちろん、人間自体は、大差はないから、日本にも、青色半導体レーザーを開発した中村修二や、光ファイバーを開発した西沢潤一のような、優れた天才肌の人物は現れる。しかし、日本の会社は、それを受け入れることができないのだ。どんなに天才肌の人物が現れても、外国の会社に追い出すか、アカデミックな大学の場に置くか、いずれかである。枚挙に暇はない。
日本人に独創性がないのではない。日本の会社が日本人の独創性を生かせないのだ。だからこそ、日本の会社には独創性が欠如する。そして、そのことが、日本の産業を衰退させるわけだ。
(例: CPUを初めて開発したのは日本人だった。日本の会社はそれを受け入れらなかったので、インテルが受け入れた。そしてインテルが世界最大のCPU会社になった。遺伝子工学だってそうだ。遺伝子の解析は、日本人の研究者が初期は独走していたが、その後、産業レベルになると、米国の企業に大幅に遅れた。今や企業レベルでは、大差で引き離されている。日本人の特性は、「バスに乗り遅れるな」であり、「最初に独走しよう」ではないのだ。)
サッカーと経済は、けっこう似ているのだ。そこには日本人の性向がくっきりと浮き上がる。こういうところをはっきりと理解しないと、日本は、自らの欠点を自覚しないまま、いつまでも落とし穴にはまったまま、抜け出せずじまいになるだろう。
[ 付記 1 ]
だから、次のように言える。
「日本のサッカーで、優秀なFWが次々と輩出するようになったら、日本の経済もどんどん成長するようになるだろう。」
と。ただし、こんなことを言うと、またジョークだと思われそうだが。(ジョークじゃないんですけどね。もしそうなったら、日本が独創性を尊重するようになったことを意味するのだから。)
[ 付記 2 ]
この問題を改革するには、企業風土を根本的に改革する必要がある。つまり、独創的な優秀な社員には、特別な高給を払うようにすればよい。
( → 5月18日b の (1) )
[ 余談 ]
ついでに言えば、トルシエ批判が強いのも、この傾向を裏付ける。彼ほど協調性を破壊する人物はいない。それゆえ、どんなに成果が上がっても、次期監督には続投しない。次期監督は、日本人監督になるらしい。協調性優先。サッカー協会の言うことをよく聞くような、おとなしい監督。協会内部で、みんな仲良し。あげく、試合では連戦連敗。ま、いかにも日本人的ではある。勝負よりは、「和」が大事。
小泉の後継の首相も、興味深い。何もしない無為無策の「協調型」の首相が現れるかもしれない。ま、それでも、「不況をひどくする構造改革」路線よりはマシかもしれないが。……いや、どっちも同じかな。
私が思うに、トルシエは、監督を辞めたあとで、日本の首相になるといいのでは? 副首相は、阪神のコーチのオマリー。(彼にクリントンの真似をやらせる。ナイナイの二人にも、ブッシュの真似とヒラリーの真似をさせる。)
● ニュースと感想 (6月09日c)
明日からまた、景気の話。
それと関連して、最近の景気事情をまとめておこう。(情報は新聞から。読売・朝刊2002-06-08 などを参照。 * 印は、同日・朝日・朝刊。)
- 米国は、ここのところドル安が続いていた。
- 米国の株式市場は、昨秋のテロ時点で暴落したあと、今年の初めにはテロ前の水準に回復したが、今やまたダウが 9500ドル割れで、テロ時点の水準まで悪化してしまった。ただ、経済指標そのものは悪化していないし、成長もしているので、景気悪化とは言いがたい。とはいえ、先行きの不安もある。 ( * )
- 日本では、「米国の景気回復を頼りに、2002年6月ごろには景気がいくらか回復するだろう」という予想を立てていた。ただ、最近は、特に景気は良くなっていない。(株価は、米国の株価下落の影響を受けて、下落気味。)
- 日本では、「円安で輸出増」という目論見を立てていた。その効果は、今年1月〜3月に現れた。輸出企業は、業績を向上させた。
- 輸出企業は、業績向上にもかかわらず、春闘では、賃下げや定昇停止をした。つまり、「輸出増 → 企業収益向上 → 所得増加 → 個人消費増」という見通しは、成立しなくなった。(所得増加がないので。)
- 「今年1月〜3月に、個人消費増加」というデータが政府統計で出ている。しかし、これはサンプル数が少なすぎることの統計誤差であり、民間の信頼できる調査では、個人消費の増加は見られないことが判明している。
- 「今年1月〜3月に、設備投資の減少」というデータがはっきりと出ている。
- 「将来への不安から、消費を減らす」という人の率は、最近、少し増えている。 ( * )
さて。私の見解は。……
個人消費が増えなければ、設備投資は増えない。その個人消費は、どうか? 賃下げで総額が減っているし、将来への不安から、消費性向も低下しているから、個人消費は、減る。かくて、消費も投資も増えず、先行きは暗い。「企業業績が向上している 今年1月〜3月に、設備投資が増加するどころか減少した」というのは、暗示的である。
結局、所得や消費性向が上昇すること必要なのだ。それが景気対策の根源なのだ。(マイナスの実質金利,量的緩和,投資減税,人件費税[ → 6月07日b ]などではない。)
以上の状況を念頭に置いた上で、明日以降の話を読んでほしい。
なお、すでに述べた次のことも参照。 ( → 6月01日 〜 6月03日 )
・ 労働分配率が上がると、不況になる、ということはない。
・ 賃上げが多いと、インフレ効果。
・ 賃上げが不足すると、デフレ効果。
・ 賃上げは、生産性の向上と同じだけの伸び率が最適だ。
● ニュースと感想 (6月10日)
「加速度原理」について。
景気循環については、マクロ経済学では、「加速度原理」と呼ばれるモデル理論がある。一定の条件を前提することで、その条件の範囲内で景気循環を起こすようなモデルを、数学的に構築することができる。
ただ、これを見て、「景気循環が数学的に証明された」ということにはならない。モデルはあくまで、モデルにすぎない。現実がモデルに従うわけではない。モデルが現実に従うだけだ。
以下では、このようなモデルを現実に適用させることを考える。つまり、数学的なモデル論における結論を、現実の経済現象に当てはめてみよう。(モデルの「解釈」と言ってもいい。)
( ※ 本項で述べることは、「加速度原理」を元にしている。これについてのモデルとしての数学的な根拠や数式などは、マクロ経済学の教科書で「加速度原理」の項目を読んでほしい。本項では、いちいち数式は示さず、その結果のみを利用する。)
( ※ 本項で述べることは、モデル論自体ではなく、モデルへの解釈である。モデル論自体は、数値的な理論であり、「定説」と言ってもいいだろう。しかし、本項で述べたことは、モデルについての、私なりの解釈である。「勇み足」「独断」と批判される可能性も、ないわけではない。── だから、本項の話は、あくまで、「南堂の解釈によれば」というふうに留保して扱っておいてほしい。)
基本。
先日、「設備投資の変動は、消費(生産)の変動に比べて、ずっと大きい」(増幅効果がある)と述べた。( → 5月12日c )
この事実は、「加速度原理」と呼ばれる。たとえば、平凡社「ネットで百科」で「加速度原理」の項を参照。
( ※ なお、投資だけでなく、利潤についても、「利潤の変動は、消費(生産)の変動よりもずっと大きい」(増幅効果がある)と言える。これは「利潤原理」と呼ばれる。マクロ経済学の教科書を参照。)
さて、この増幅効果だが、この増幅の度合いを「調整速度」と呼ぶ。
(投資の追加分) = (調整速度) × (生産の増分)
という関係にある。(ただし、「生産の増分」というのは、前期における「生産の増分」である。それが今期における「投資の追加分」を決める。)
ここで、調整速度(増幅効果)がどのくらいになるかで、景気循環のタイプが分かれる。(モデル論的に。)
(1) 投資が少ない場合
生産が増えると、所得も増えるし、設備投資も増える。……そういうふうに、波及効果がスパイラル的に続く。
ただし、投資が少ない(消費の増加に比べても少ない)場合には、この波及効果は、しだいに収束する。スパイラルがどんどん拡大するということはない。
( ※ 投資が少ないとどうして収束するのか、ということは、モデルの数式による。直感的には、「投資が少ないから、成長の度合いが少なくて、数年程度のうちに波及効果も消えてしまう、ということ。)
(2) やや多く投資する場合。
生産が増えると、所得も増えるし、設備投資も増える。ただし、生産の増加に対して、設備投資の増加がやや多い。
このとき、設備投資の増加が、消費の増加(に対応する分)に比べて、過剰である。当面、必要とされる以上に、設備投資をする。そのせいで、次の期間には、設備投資を減額する必要がある。しかし今度は減らしすぎたので、そのあとでまた設備投資を増やす。それがまた増やしすぎなので、次はまた減らす。……そういうふうに、設備投資の上下振動が発生する。それに応じて、消費も振幅が発生する。
このように上下振動が発生するのは、投資と消費との間にタイムラグがあるからである。投資を増やしても、それがすぐに、企業の売上げとなって、労働者の所得となって、消費者の消費となるわけではない。ある程度の、タイムラグがある。そのせいで、ぎくしゃくして、振動する動きをするわけだ。
ただし、上下振動をするとしても、投資が多すぎなければ、この上下振動はやがては収束する。
(3) かなり多く投資する場合。
先に「やや多く」と言ったのは、「最適」に比べて過大だという意味だ。そのせいで、「多すぎ」たり「少なすぎ」たりして、あとでブレが生じる。とはいえ、その上下振動は収束することもある。(上の (2) の場合。)
しかし、収束せず、発散する場合もある。それは、「生産額の伸びよりも、投資額の伸びの方が多い」(調整速度が1を上回る)という場合だ。換言すれば、「消費を削ってまで、過剰に投資する」という意味だ。
普通は、(率ではなく額で言うと、)生産の伸びは、消費の伸びと投資の伸びの和に等しい。しかし、消費の伸びを減らしてまで、過剰に投資をすることもある。こうなると、あまりにも投資が過剰だから、不自然な動きをする。
この場合も、消費に比べて投資が過剰だという意味で、タイムラグが起こって、上下振動が発生する。しかも、「投資拡大が投資拡大を呼ぶ」とか、「投資縮小が投資縮小を呼ぶ」という形で、規模が拡大するので、収束するかわりに、発散する。結局、上下振動しながら、発散するわけだ。
そして、それはなぜかと言えば、消費を削ってまで投資するという、極端なことをしているからだ。
(4) 非常に多く投資する場合
投資の伸びが非常に過大になると、消費不足の悪影響をこうむることなく、投資は投資だけで充足して、どんどん急速に拡大することができる。たとえて言えば、ロボットがロボットを生産するようなものである。1台のロボットが2台のロボットを生む。その2台のロボットがそれぞれまた2台のロボットを生む。……というふうにして、消費を無視して、投資だけで勝手にどんどん急拡大していく。
これには、二つの場合がある。
第1に、需給ギャップが生じない場合。この場合、消費を抑制して、貯金を増やし、その金を、設備投資に向ける。そうすれば、経済は急成長する。プラスの急拡大。
( ※ たとえば、供給力の不足して失業率の高い途上国などである。高度成長期の日本もそうだ。この場合は、過剰な投資は、供給能力の不足を解消し、劣悪な経済状態を、急速に立ち直す。)
第2に、需給ギャップが生じる場合。この場合、消費を抑制して、貯金を増やし、その金を、設備投資に向けても、意味がない。なぜなら、生産物が市場で売れないからだ。作れば作るほど、赤字が増えるだけで、状況は悪化するばかりだ。「もっと設備投資せよ」とじゃんじゃん投資を増やせば増やすほど、かえって状況は悪化していく。マイナスの急拡大。
( ※ たとえば、デフレ期の日本がそうだ。)
【 注 】
上のロボットの例で言おう。このロボットは、最終的に使い道がある[需要がある]なら、すぐにロボットを消費者に渡さず、ロボットがロボットを生む形にした方が、急成長できる。一方、最終的には使い道がない[需要がない]のなら、ロボットでロボットを生産しても、単にゴミを拡大再生産しているだけであるから、生産すればするほど、赤字が拡大するだけだ。
(4:付記) 上限の有無
上の「第1に」の場合には、急成長が可能だ。ただし、その急成長も、上限に上限に達することがある。いくら「加速度的どんどん生産が増える」とは言っても、天井知らずではない。いつかは、上限に達する。その上限は、生産能力による上限であることもあるし、需要による上限であることもある。
生産能力による上限があるのは、たとえば、失業率がゼロになった場合だ。労働力をこれ以上、増やせない。だから、いくら設備投資をしても、生産がろくに増えない。
需要による上限があるのは、たとえば、消費ブームが去ったりして、消費性向が急激に低下した場合だ。具体的には、バブルの破裂したころに日本など。一般的に、好況の最後は、こうなる。こういうときは、いくら設備投資をしても、しょせんは需要が頭打ちなのだから、生産は増えない。
そして、いったん上限に達したあとは、今度は加速度的に経済が縮小していくことになる。(それがモデル論的な帰結だ。)理由は、「デフレ・スパイラル」と言ってもいい。「過剰投資」→「投資縮小」のあとでさらに、「解雇・所得減」→「生産縮小」→「解雇・所得減」……というふうにスパイラル的に悪化する。
( ※ 第1の場合も、第2の場合も、状況はスパイラル的に拡大する。収束するのではなく、発散する。なお、上下振動は、あることもあり、ないこともある。)
まとめ。
さて。それでは結局、現実には、どうすればいいか? 次のように言える。
- 基本的には、消費の増加に応じて、適切な量の設備投資をすればよい。(適切でないとどうなるかは、以下に記す。)
- 設備投資が不足だと、成長がそがれる。ただし、それだけだ。単に成長の伸び率が低いというだけとなる。
- 設備投資がやや多いと、次の期間で、設備投資を減らす必要がある。また、設備投資がやや少ないと、次の期間で、設備投資をやや増やす必要がある。というわけで、設備投資の上限振動が発生する。それに応じて、生産の上限振動が発生する。ただし、発散はせず、収束する。
- 設備投資がとても過大になると(生産額よりも投資額の方が大きくなると)、上限振動しながら、発散する。この場合、初期値(需給ギャップの有無)に依存する。
- 元が成長状態ならば、さらに急速に成長する。……[*]
- 元が収縮状態ならば、さらに急速に収縮する。
つまり、好況ならば好況が拡大するし、不況ならば不況が拡大する。
- 上の [*] の場合(発散し、かつ、成長状態の場合)には、「上限がある場合/上限がない場合」の2種類がある。
- 上限のない場合。この場合は、過剰な投資は、供給能力の不足を解消し、劣悪な経済状態を、急速に立ち直す。つまり、高度成長。
- 上限のある場合。生産または需要を理由とした上限があることによって、拡大が不可能となる。そのあとは、反転して、急激に縮小していく。
以上のようにまとめることができる。
[ 補説 ]
以上のようにいくつかの場合がある。これらの場合は、経済学の数学的なモデルから導き出される。
実際の経済が、これらのどれに当てはまるかは、そのときの状況しだいだ。モデルが現実を決めるのではない。現実がモデルのどれに当てはまるかは、現実しだいである。
( ※ この件、明日分の記述で。)
[ 解説 ]
本項で述べたことの核心は、「増幅作用」だ。
経済というものは、消費と投資とが毎年一定の割合で拡大するならば、安定する。(たとえば毎年、消費も投資も 3% ずつ拡大するなら、それはそれで安定する。)
しかるに、消費の伸びに対して、投資の伸びが、不足したり、過剰であったりすることがある。不足する場合は、単に成長がそがれるだけで、たいして意味はない。問題は、投資が過大であった場合だ。この場合は、不安定になる。
その不安定さには、上限振動と、発散との、2種類がある。
結局、消費の増加に対して、投資の増加がぴったりであれば問題がないが、ちょっとでも過不足があると、それがどんどん増幅されるわけだ。それが景気に不安定さをもたらす。
[ 補足 ]
「加速度原理」という言葉は、「不安定さ」とか「増幅」とかの意味合いがある。特に、先日も述べたことを、繰り返そう。
「消費(生産)の変動に比べて、設備投資の変動は、ずっと大きい」(増幅効果がある)
ということだ。
( → 5月12日c )
[ 参考 ]
先に、「上限があり、壁にぶつかる」とも述べた。上限があるように、下限もある。そして、上限と下限があるなかで、「初期変動がスパイラル状に拡大する」という状況があると、このシステムは、上がったり下がったり循環する。
これは、景気循環のモデルとなる。これを具体的に示したのが、カルドアという経済学者である。(カルドアの景気循環モデル。)
【 追記 】
本項で述べたことについては、後日、より詳しい考察が与えられた。 → 11月01日
● ニュースと感想 (6月11日)
前日の「加速度原理」で述べたモデル論的な話は、あくまで、モデル上のことである。現実の経済が完全にそのようになる、という意味ではない。では、モデルと現実は、どこが一致し、どこがずれるのか?
(1) どこが一致するか?
どこが一致するかと言うと、基礎的な原理では、一致する。
モデル論では、仮定がある。
・ 調整速度が一定であれば。
・ 消費性向が一定であれば。
こういう仮定を前提とした上で、あとは、論理的に、結論が出る。それが、前項に述べた解釈だ。
だから、現実が、上の二つの仮定を満たしていれば、論理的に、前日に述べたような結論になるはずだ。(たとえば、振動したり、急成長したり。)
そして、この点は、まったく問題ないのである。論理学や数学が間違っていない以上、現実が上記の仮定を満たせば、現実はモデルで示したように動く。それは、「1+1=2」というのが真実であるのと同じ程度に、真実である。
(2) どこが拡張されるか?
上の (1) では、調整速度は一定であると仮定したが、「状況ごとに、調整速度が別の値を取る」というふうに拡張することができる。そういうふうに、モデルを拡張するわけだ。(複数のモデルを組み合わせて、新たに複合的なモデルを作る。)
このことは、「カルドアの景気循環モデル」に見られる。
・ 景気の変化の途中時点では、調整速度が大きい。
(成長や悪化が急激である。発散するような動きを取る。)
・ 景気の山や景気の谷のあたりでは、調整速度が小さい。
(成長や悪化がなだらかだ。収束するような動きを取る)
さて、現実はどうかと言えば、だいたいは、このカルドアのモデルのようになる。つまり、調整速度(増幅効果)は変動する。その変動は、上記のようになる。
( ※ これは、現実がモデルに従っているわけではない。カルドアのモデルを、現実に合わせて作ったから、そうなるわけだ。)
(3) どこがずれるか?
どこがずれるかと言うと、「現実の経済は必ずしもモデルの仮定を満たさない」ということだ。
第1に、調整速度が(不規則に)変化することがある。
カルドアのモデルでは、調整速度が変化するように見なされているが、その場合も、モデル的にきれいに変化するように仕組まれている。だから、景気はきれいに循環するはずだ。しかし、現実の景気は、きれいに循環するわけではない。つまり、規則的に周期的に変動するわけではない。実際には、良くなったり、悪くなったり、不規則に変動する。……ここでは、調整速度が不規則に変化していると考えられる。
第2に、消費性向が変化することがある。
消費性向が変化するというのは、話が複雑になりすぎるせいか、モデル論的には、あまり考察されてきていないようだ。そしてまた、モデル論的に言えば、話は単純に片付いてしまうのだ。つまり、「消費性向が高くなれば好況、消費性向が低くなれば不況」というふうに、1行の文章で片付いてしまうのだ。そういう意味で、経済学的には、学問的な面白みはない。
しかし、学問的な面白みはなくとも、これこそが最も重要なのだ。普通の人にとって、経済学とは、「生活に役立つか否か」であって、「論文を書くのに役立つか否か」ではない。学問的な面白みなど、どうでもいいのだ。
そして、この「消費性向の変化」こそが、実は、最も核心なのである。なぜか? 「調整速度」なんてものは、勝手に操作できるような量ではないし、あれこれと論じても、あまり意味はないのだが、「消費性向」というものは、いくらでも操作できるものであり、かつ、効果が大きいからだ。
一般的に言って、あらゆる景気の変化において、最も重要な要素となるものは、「消費性向の変化」である。たとえば、バブル期には、かなり景気が良かったが、このころは、人々は財布の口を大きく開いていた。つまり、消費性向がかなり高かった。ところが、バブルの破裂が現実化すると、人々は、急に不安になり、財布の口を引き締めた。それが景気の悪化を招いた。人々はさらに不安になり、いっそう財布の口を引き締めることとなった。消費性向は急激に低下していった。
そして、消費性向が低下すると、加速度原理(増幅効果)により、設備投資も急激に減るから、景気は急速に悪化していくことになる。
[ 付記 1 ]
消費性向の変化は、「外生的な要因」と解釈することもできる。( → 明日分 :「外生的」)
つまり、モデルの外部から、別の力が加わって、消費性向を変化させるため、あれこれと景気が変動してしまうのである。特に、カルドアのモデルでは、きれいに周期的に循環することになっているが、外生的な要因が加われば、このようなきれいな循環は、当然、起こらなくなる。
[ 付記 2 ]
「加速度原理」で、一番重要なのは、「増幅効果のある場合」である。つまり、景気の山や谷ではなくて、急激に景気が良くなったり悪くなったりする状況のときである。
ここに注目して、「調整速度(増幅効果)が大きいと、どうなるか」ということを考えるのが、モデル論的な考察のポイント。
[ 付記 3 ]
核心的なことは、何か?
「景気というものは、加速度原理や不安定構造ゆえに、放置しただけでは、均衡には達せず、むしろ、不均衡が拡大する」ということだ。
つまり、「放置すれば最適になる」という、古典派的な経済観は、景気においては、成立しないわけだ。むしろ、「放置すれば、どんどん悪くなる」のである。景気というものは、そういう性質を持つわけだ。
(つまり、ミクロで成立することも、マクロでは成立しないわけ。)
[ 付記 4 ]
景気の不安定さは、「変動の拡大」という点に着目すると、初期値の変動が結果的に大きな違いを生むという「カオス」にちょっと似ているが、やはり、「不安定構造」と見なす方が正しい。なぜなら、「先がどうなるかわからない」のではなくて、「変動を(同じ方向に)拡大する」という増幅効果があるわけだからだ。
「景気の構造は、不安定構造であり、カオスではない」と言える。
( ※ なぜこんなことをいちいち言うかというと、「景気の構造は、カオス理論で解明できる」と思い込んでいる人がいるからだ。しかし、そんなことはないのだ。カオスというのは、「一見したところ不秩序に見えるような、複雑な秩序」のことだが、景気というものは、そういうものではないのだ。景気の構造は、秩序とか不秩序とかではない。そこには、「不秩序を(同じ方向に)増幅する」という構造がある。)
( ※ なお、「カオス」と「景気循環」については、モデル的な研究が、すでになされている。あまり面白い話ではないが。)
● ニュースと感想 (6月12日)
経済を変動させる要因としては、「外生的」な理由と、「内生的」な理由がある。
前者は、経済システムの外部にある要因。── 例:天候変動。戦争変動。外国の経済変動。
後者は、経済システムの内部にある要因。── 例:需要と供給の相互的影響。消費と設備投資の相互影響。金融政策のもたらす影響。
( ※ 以上、マクロ経済学の初歩。教科書に書いてある通り。)
( ※ 特に、モデルにおいて、その要因が変数となっていれば、「外生変数」「内生変数」などと、区別されることもある。)
前々日 の「加速度原理」で述べたのは、「内生的」な理由の方だ。
一方、「外生的」な理由としては、何と言っても、「消費心理」が非常に大きい。人々の気分が景気を動かすわけだ。明るい気分で浮かれて、どんどん買物をするか。暗い気分で消沈して、買物を控えるか。……こういう差によって、消費性向がかなり変動する。消費心理こそ、景気変動の最も主要な要因であろう。
・ 消費性向が上がると、景気が良くなる。
・ 消費性向が下がると、景気が悪くなる。
しかも、ここでは、「増幅効果」が発生する。つまり、次のことが、上記のことと関連して、スパイラル的に状況を進める。
・ 景気が良くなると、消費性向が上がる。
・ 景気が悪くなると、消費性向が下がる。
この「増幅効果」という点から言えば、消費心理もまた、「加速度原理」と同じ効果をもつ。
[ 注記 ]
消費性向は、消費心理で変化する。「消費心理」というものは、ここでは「外生的」と見なしているが、ある意味では、「経済システムの内部にあるので、内生的だ」と解釈できなくもない。
こうなると、「外生的/内生的」という用語の区別は、あまり意味をもたないかもしれない。
ただ、本項では、「経済システムのモデルの外部にある」という意味で、消費心理を「外生的」と(一応)呼んでいる。
消費心理というものは、景気の状況によって変化するという意味では、経済システムの内部にある。ただ、モデルでは「消費性向は一定だ」と見なされることが多く、その意味では、経済システムの外部にある。また、そのときの社会心理によって大きく変動するという意味でも、経済システムの外部にある。
「消費心理」ないし「消費性向の変化」というものは、経済学では、ちょっと扱いが面倒かもしれない。
[ 付記 ]
景気変動というのは、実際には、経済が数%ほど上下するだけにすぎない。しかしそれが大きな影響をもたらすのだ。
経済が数%ほど上下するだけで、好況になったり、不況になったりする。現在のひどい不況期でも、失業率はたったの5%くらいだ。しかし、失業者が5%になる(平時から3%増える)というのは、それはもう、大変なことである。多くの人は、「自分はまだ大丈夫」と思っているが、同時に、「今は大丈夫でも、明日はわが身」と思って、非常に恐怖をもつ。そして、それゆえ、消費を減らす。そのことがスパイラル的に景気を悪化させる。
● ニュースと感想 (6月12日b)
前項の関連。(重複あり。)
「加速度原理」と同じ効果を出すものは、「設備投資の追加分」以外にもある。……特に、「資産効果」と「所得効果」がある。これらについて、説明しよう。
- 資産効果
「資産効果」は、加速度原理ふうの効果をもつ。
景気が回復すると、資産価値が上昇する。たとえば、土地や株価の時価が上昇するので、含み利益が上昇する。また、担保価値が上がるので、投資をしやすくなる。かくて、景気はスパイラル的に上昇する。
逆に、「資産価値の下落」もある。これだと、話は逆になり、景気はスパイラル的に下落する。
こういうふうに、「資産効果」は、景気の状況を増幅・加速する。(良ければもっと良くするし、悪ければもっと悪くする。)
- 所得効果
賃金所得による「所得効果」も、加速度原理ふうの効果をもつ。
「所得効果」もそうだ。景気が回復すると、所得が増え、そのことで、消費を増やし、それがまた、所得を増やす。
景気が悪くなると、話は逆となる。
こういうふうに、「所得効果」は、景気の状況を増幅・加速する。(良ければもっと良くするし、悪ければもっと悪くする。)
これらは、一般に、経済成長率を上回る伸びを示す。増幅効果があるわけだ。それゆえ、「加速度原理」に似ている。
たとえば、経済が3%成長すると、賃金は(労働時間の上昇による所得増加だけでなく、企業収益向上にともなって時間あたり賃金が上昇するので、)5%ぐらい上昇する。また、株価や地価も5%ぐらい上昇するが、このとき、企業の含み利益は 20%ぐらい上昇する。
ともあれ、これらも、「加速度原理」と同じ効果をもつので、景気の変動を増幅する効果があるわけだ。
もう少しはっきり言おう。こういう「資産効果」や「所得効果」は、消費性向を変化させる。景気の良いときには消費性向が高まり、景気の悪いときには消費性向が低くなる。── そういう傾向が見られるのだ。
そして、このことが、「増幅効果」と同じ効果をもつから、「加速度原理」と同じ効果をもつことになる。
( ※ このことは、いわゆるスパイラル効果をもたらす。「インフレ・スパイラル」とか、「デフレ・スパイラル」とか。……この意味で、第3章で述べた「不安定構造」に相当する。そして、このことが、景気変動で最も大きな要因となるのである。)
( ※ 「なぜそうなのか?」という疑問は、意味がない。この消費性向の変化は、人間の心理によるものだからだ。楽観すれば消費を増やすし、悲観すれば消費を減らす、というのが、人間一般の心理である。ただし、これはあくまで心理的なものだから、人為的に変化させることは、まったく不可能なわけではない。「減税」や「物価上昇」や「インフレ告知」などにより、人間心理を変化させることは、可能である。……そういうふうに「心理に対する働きかけ」を、私は重視しているわけだし、それを何度も主張しているわけだ。)
[ 付記 ]
「資産デフレによって不況が発生した」という説との関連を示そう。
資産デフレは、不況の「原因」ではなくて、不況を「増幅させるもの」なのである。(資産インフレも同様で、好況の「原因」ではなくて、好況を「増幅させるもの」なのである。)
だから、「資産デフレをつぶせば不況は解決する」というのは正しくなく、「(別の手段で)不況を解決すれば、それにともなって、地価や株価の上昇が発生し、景気回復が増幅される」というのが正しい。
この点、間違えやすいので、注意のこと。(多くの経済学者が勘違いしている。)
● ニュースと感想 (6月13日)
6月10日の「加速度原理」に関連して、補足をいくつか加えておく。
(1) 非対称性
「加速度原理」も元のモデルでも、カルドアのモデルでも、「景気は循環する」というふうになるように、モデルが決められている。(そういうモデルを選んでいる。あるいは、そういうふうにモデルを決めている。あるいは、モデルの前提が、そういうふうになっている。)
しかし、現実には、「景気循環」という概念とは逆に、景気は必ずしも循環しないのだ。
・ 上昇した景気は、いつかは下降する。
・ 下降した景気は、いつかは上昇するとは限らない。
となる。つまり、景気の好転と悪化とには、非対称性があるわけだ。
特に、デフレのときが問題だ。「景気は循環するはずだ」と人々は信じ込む。「だから、何もしなくてもいいさ。無為無策でいいさ。そのうちいつか、景気は回復する」と楽観する。しかし、そんなことはないのだ。放置すれば、蟻地獄に嵌まったごとく、ずっと悪化したままであることがある。あるいは、回復するにしても、非常に長い年月がかかることがある。
これには、実例がある。1930年ごろ、昭和恐慌でも、世界大恐慌でも、回復するには非常に長い時間がかかった。「放置すれば、いつかは回復」というようなことは、なかったのだ。
( ※ いずれの場合も、回復には、放置ではダメで、軍需景気を必要とした。軍需景気には、もちろん、戦争というひどい弊害がともなった。)
( ※ こういうふうに、「良い状況は崩れるが、悪い状況はそのまま」というふうになるものだ。しかるに、人々は、逆に信じ込みやすい。「良い状況は永続し、悪い状況は自然回復する」と。……そう信じ込む人々が、「バブル景気は永続するし、資産インフレ効果も永続する」とか、「景気対策では需給問題は放置していいから、とりあえずは構造改革で体質強化しよう」とか、そういうメチャクチャを言い出すわけだ。)
( ※ なお、このことは、モデル論的に言えば、下側の点を「安定均衡点」と見なすことに相当する。)
(2) 調整速度の変化
前々日の (2) で述べたように、調整速度は状況によって変化する。つまり、
・ 景気の変化の途中時点では、調整速度が大きい。
・ 景気の山や景気の谷のあたりでは、調整速度が小さい。
というふうになる。
このことと、外部からの力(外生的な要因)との関係を述べると、次のように言える。
- 外部からの力(公共事業・減税など)を与えて、景気を変動させようとするとき、状況によって、調整速度(増幅効果)の大きさが異なる。
- 景気の途中時点では、増幅効果が大きいので、外部から小さな力を加えるだけで、大きな変動が生まれる。
- 景気の山や谷のときには、増幅効果が小さいので、外部からいくらか力を加えても、なかなか大きな変動が生じない。
この三点は、かなり重要なことである。
特に、三番目のことが重要だ。景気の山や谷のあたりでは、外部からの力を加えても、それが期待された効果をあまり発揮しないわけだ。たとえば、景気の谷のときに、「公共事業にはこれだけの景気回復効果があるだろう」と思って、何兆円かの規模の財政支出をしても、それが期待された効果を発揮しない。換言すれば、期待された乗数効果の波及効果が生じない。
ケインズ理論では、乗数効果は定数である。たとえば、乗数は 2 という定数となる。そして、「景気が良くても、悪くても、投入した金の2倍の景気刺激効果が出るはずだ」と思い込む。しかし、そんなことはないのだ。乗数は定数ではないのだ。景気の悪くなかったときに、乗数が2になったからといって、景気の悪いときにも、景気の悪くないときと同様に、乗数が2になるわけではない。もっと低い値となる。……つまり、「乗数が定数となる」というケインズ理論の仮定は成立しなくなる。(「乗数効果」をなかば否定するわけだ。かなり重要な結論である。)
また、このことを逆の面から見れば、次のようにも言える。景気が普通のとき(景気の山でも谷でもないとき)には、増幅効果ゆえに、あまり大きな力を加えなくても、大きな効果を発揮することができる。たとえば、公共事業を少し投入することで、景気を強く刺激したり、公共事業を少し減らすことで、景気を強く冷やしたり。(ここではいわば、「乗数効果」の乗数が大きくなっているわけだ。)
以上をまとめて言えば、次のように言える。
「景気の山や谷のとき(景気が非常に熱したり、景気が非常に冷えたとき)には、景気を普通に戻すには、かなり大きな力が必要である。公共事業・増減税・金利上下などの操作を、かなり大幅に実施する必要がある。減税で言えば、一挙にドカンとやる必要がある」
「景気が平常のときには、放置すると、微小な変動がどんどん拡大するので、そうなる前に、たえず微小な力を加えて、変動が拡大しないように、保持するべきである。金利調節で言えば、日銀は、様子見や出し渋りなどのような、遅れた小幅調整をしないで、機敏に果断に実施するべきである。特に、調整の幅は、『過剰』よりも『不足』を起こさないように注意するべきだ。(少々のやりすぎは、あとで補正が利く。不足だと、変動がどんどん拡大して、手遅れになりかねない。例:バブル期の金利調整の遅れ。)」
(3) 過剰投資の悪影響
「加速度原理」の元のモデルでは、いくつかの場合を示したが、いずれにせよ、「供給が過剰」(需給ギャップの存在)という状況は、好ましくない結果を生むものだ。次の二つの場合がある。
第1の場合としては、振動が発生する。投資をすると、投資自体が需要である効果によって、当面は経済が急成長する。しかしやがては、(消費増加を上回る供給増加としての)過剰投資があったせいで、投資が急に縮小する。そのせいで、景気はさらに急速に悪化する。結局、「当面はいいが、ちょっとあとでツケが来る」という形だ。── たとえば、「半導体投資をすれば、景気が回復する」という説に従って、どんどん半導体投資をして、一時的に景気が上向く。しかし、しょせんは需要が追いつかないから、過剰な投資が行なわれたせいで、そのあとで急に投資が縮小する。そして景気が急に悪化する。(そのあとでまた同じことを繰り返して、景気がまた上向くが、そのあとでまた急降下する。……という繰り返し。)
第2の場合としては、振動せずに、急激に縮小していく。これは、単純なスパイラルである。需要が少ないので、投資をしない。そして、投資減少の分、総需要が縮小する。そのことがさらに需要を減らす。……というふうに、単純にスパイラル状に不況が拡大する。
いずれにせよ、過剰投資があると、「投資拡大で景気回復」というシナリオは、成立しない。普通の景気のときであれば、「投資拡大で景気拡大」というシナリオは、成立する。しかし、いったん需給ギャップの発生する状態となると、「投資拡大で景気拡大」とはならず、もっと悪い結果を招くわけだ。(良くて「振動」。悪くて、「デフレ・スパイラル」)
このことは、現況に当てはまる。今現在、「投資を拡大すれば、景気は回復する」という主張をしている経済学者が多いが、それはとんでもない間違いであるわけだ。
( ※ このことは、私が前から主張してきたが、「加速度原理」のモデル論からも、はっきりと示されるわけだ。)
[ 付記 ]
実を言うと、上記の「第1」「第2」のほか、「第3」となる場合もある。それは、「需要不足とは逆に、大幅な供給不足の発生している状況」である。たとえば、途上国がそうだ。
慢性的に生産手段が不足している場合には、莫大な投資(生産力)が必要である。こういうときは、過剰なほどの投資をすることが好ましい。そのことで、経済は急成長していく。(なお、ここで言う「過剰」とは、「消費を削ってまで」という意味。「不適切」という意味ではない。)
( ※ ただし、上記のような途上国の場合というのは、完全雇用がなされていない状況である。この点に、注意。後日、「完全雇用であることを前提とした、最適経済成長」ということを議論する。そこで述べることとは、もちろん、途上国の場合には、当てはまらない。完全効用であることを前提とした理論は、完全雇用でない状況については当てはまらない。……なお、完全雇用の場合には、やがては成長は上限にぶつかる。残業時間の無限拡大はできないからだ。)
[ 補説 1 ]
先の (1) (2) に戻って言うと、景気の谷のときには、「失業」が発生するものだ。この失業が、「完全雇用」という状況を崩して、景気循環に非可逆性を生み出す。
もし、失業が発生していなければ、景気の悪化は、単に、所得の減少(および労働時間の減少)を意味するだけだ。だから、消費性向を高めれば、支出が増えて、景気は回復していくはずだ。
しかし、いったん失業が発生すると、そうは行かない。たとえ消費性向を高めても、失業者は、もともと所得がないのだから、その人の支出は増えない。
(このことは、「消費性向」の定義から明らかだろう。 「所得」×「消費性向」=「支出」 であるから、所得がなければ、消費性向が上昇しても、支出は増えない。)
景気循環モデルには、「失業」という要素は考慮されていない。しかし実際には、失業は、こういうふうに大きな影響(不可逆的な影響)をもたらすわけだ。
そして、これもまた理由となって、景気の谷のときには、通常の景気刺激策だけでは、十分な効果が発揮されないわけだ。
( ※ この「不可逆性」は、かなり大事である。古典派の考え方を否定するからだ。)
[ 補説 2 ]
先の (3) に戻って言おう。
「設備投資が経済を成長させる」という説は、必ずしも成立しないことになる。設備投資が経済を成長させるというのは、普通の景気のときには、たしかに成立する。しかし、もともと設備が過剰であるとき(デフレのとき)には、設備投資は状況を好転させるどころか、悪化させる。(上下振動をさせるか、デフレスパイラルをもたらす。)
にもかかわらず、「設備投資で景気回復」という説を唱える経済学者が多い。これは正しくないのだ。そういう説が成立するのは、あくまで、供給過剰でないときだけである。供給過剰のときに、さらに供給過剰にしても、状況を悪化させるだけなのだ。
なお、こういう間違った主張を唱えるのは、たいていは古典派である。なぜ彼らは、間違ったことを主張するのか? 彼らは「需要不足」とか「需給ギャップ」とかいうものを、もともと認めていないのである。「市場経済のもとでは、価格調整によって、自然に数量調整もなされるはずだ。だから需給ギャップというものは、もともと存在しない」と思い込む。こういう勘違いをしているから、「設備の過剰」という状況も認識できないのだ。
出発点が間違っている限り、あとの推論はすべて間違いとなるのである。
( ※ 古典派の勘違いの核心については、後日あらためて述べる。)
( ※ 初歩的な説明では、次の通り。── 古典派の考え方は、「供給は需要を生む」というもの。その結論は、次の通り。
・ 「供給の分だけ消費が生まれる」(セイの法則)
・ 「在庫過剰という現象は発生しない」
・ 「消費不足などは存在しない」
・ 「失業という状態も発生しない」(労働市場の価格調整)
・ 「失業者は勝手に失業したがっているだけだ」
・ 「失業による自殺者は勝手に死にたがっているだけだ」
こういう主張は「設備投資で景気回復」という主張と、論理的には、ほぼ同義である。
なお、「自分はそんなことを言う人非人じゃないぞ」と自己弁護する古典派の人がいるかもしれない。しかし、そういう人は、論理矛盾を起こしているわけで、人非人ではないだろうが、阿呆であろう。)
( ※ とにかく、根本的に言って、消費不足とか需給ギャップとかを無視してはならない。これを無視して「設備投資だけで」なんて主張するのでは、ダメなのだ。)
[ 余談 ]
「加速度原理」の話は、これでおしまい。
明日はまた、賃金と景気の話に戻る。
● ニュースと感想 (6月14日)
「経済成長の理論」について。
経済成長について、経済学的な理論考察がある。マクロ経済学の教科書を見ればわかるが、ここでは簡単に紹介しておこう。こういう理論がある、という紹介である。理由などは示さず、結論だけを示す。
( ※ 以下では、成長率は固定的な一定値であると仮定する。)
( ※ また、状況は、完全雇用であるとする。完全雇用でない場合は、さっさと不況や失業を解決することが先決。そういう形での経済成長は、以下で述べる経済成長とは、別次元の話。)
-
(経済成長率) = (労働人口増加率) + (労働生産性向上率)
これを説明する。たとえば、労働人口が毎年3%増えて、労働生産性が毎年2%増えれば、経済成長率は毎年5%である。
これも、成長が均衡を保つための条件式である。「現実に必ずそうなる」というわけではない。(右辺は固定的だが、左辺は景気変動によって大きく上下する。労働時間は同じでも、労働時間は変化する。)
-
(経済成長率) = (実質賃金上昇率)
これは、先日も述べてきたことだ。実質賃金上昇率が、経済成長率と同じであるべきだ。そういうときに、均衡した最適な経済成長がなされる。もし実質賃金上昇率が不足すれば、所得が不足して、経済成長がそがれる。もし実質賃金上昇率が過剰であれば、投資が不足して、インフレになる。
これは、「利潤に対する労働分配率が最適値である」と言い換えてもよい。企業が利潤を増やしたとき、それを一定の割合で正当に労働者に分配するべきだ。分配せずに、企業ばかりが利潤を溜め込むと、国民所得が増えないので、経済成長がそがれる。
なお、この式は、最適化のための条件式である。必ずそうなるというわけではない。
さて。ここでは「一定の割合」と述べた。それは、具体的には、どうやって決まるか? そのことは、次の (3) でわかる。
-
(経済成長率) = (投資収益率)
これを説明する。(この式は、消費を最大にするという、最適化のための条件式である。必ずそうなるというわけではない。)
そもそも、消費と貯蓄は相反する関係にある。
( ※ 投資収益率が成長率よりも低ければ、次期の投資が抑制されるし、投資収益率が成長率よりも高ければ、投資過剰・消費不足で次期の売上げが減る。)
第1に、消費を過度に増やせば、成長率がそがれる。(なぜなら、消費過剰で、貯蓄が減り、そのことで投資が減るから。)
第2に、消費を過度に減らせば、成長はそがれる。(なぜなら、消費不足で、投資は増えるが、いくら投資を増やしても、売上げが伸びないので、投資が無駄となるから。)
結局、消費は、過度に増やしても、過度に減らしても、いずれにしても、成長はそがれる。だから、その両者の中間点に、成長を最大にするような、最適の水準があるはずだ。では、その値は? それを与えるが、上の式の値だ。(つまり、投資収益率を適切にすることで、消費の量と、貯蓄・投資の量を適切にする。そのことで、最大の経済成長率を得る。)
たとえば、1万円の投資増加で 500円の生産[企業所得]を得るなら、「投資収益率は 5% である。この率が、経済成長率となるときに、消費は最大値を取り、成長は最適化される。
このことは必ずしも成立するわけではない。これは「最適であること」の条件である。この条件を満たさない場合は、消費過剰または消費不足になって、成長が鈍化するだけである。
この件、「資本蓄積の黄金律」と呼ばれる。新古典派の理論による定理。話の詳細など、詳しくはマクロ経済学の教科書を参照。また、この定理を拡張して、「消費のターンパイク定理」というのもある。
【 注釈 】
( ※ ここでは、その企業のなかで、企業の利潤がそのまま投資に回されるわけではない。企業の利潤は、利潤所得として、いったん株主などに配分され、それが株主などの貯蓄に回され、銀行を通じて、投資に回される。そういうふうにマクロ的に迂回するわけだ。結局、話はあくまでマクロ的な話である。マクロ経済の教科書にある「貯蓄 = 投資」という等式と、同じ意味合い。)
( ※ 話の核心は何か? マクロ的に、利潤の総額と、貯蓄の総額が、同額となるということだ。そして、その額が、投資に回って、経済を成長させる。これは、多ければ多いほど良いように思える。しかし、実は、利潤が増えすぎると、それは貯蓄過剰と消費不足を意味するので、かえって消費が減ってしまって、成長がそがれる、ということ。)
( ※ なお、ここでは、生産性の向上は、無視されている。あくまで、単純なモデル論的な話である。
( ※ また、ここでは、景気変動も無視している。景気変動が発生している場合は、どうか? 話は無意味となる。上記の話は、最適化された恒常的な成長の話である。最適化された状態から、大きく逸れた状態[デフレなど]では、話の前提がそもそも範囲外である。デフレのような状態は、最適状態ではないのだから、さっさとそこから脱するべきだ。)
結語。
ここまで述べたことから、どのような結論が得られるか? それは、次のことだ。
- 経済成長のためには、賃上げは適切な量が必要である。
- 賃上げは、過剰であっても、不足しても、経済成長を妨げる。
- 消費過剰のときには、賃上げを抑制する必要がある。
- 消費不足のときには、賃上げを増やす必要がある。
これは、すでに 6月01日 〜 6月03日で述べたことと同じだ。ただ、それを、(マクロ経済学における)経済成長のモデル理論からも導ける、とわかったことになる。(話の詳細は、はしょっているが。)
教訓。
上記の結論は大事である。なぜなら、日本はこれまで、この結論にまったく反することばかりをし続けていたからだ。その失敗例が、バブルであり、バブル破裂であり、十年不況である。
バブル期の失敗について、「日銀が金融緩和をし続けたのが主因だ」という意見がある。それはそうだ。しかしもう一つ、根元的な原因を忘れてはならない。
そもそも、なぜ、日銀は金融緩和をし続けたか? それは、円高不況を解消するためだ。当時、急激な円高によるデフレ効果が発生していた。それを解消するために、インフレ効果を出そうとして、量的緩和をし続けた。これは、インフレ効果をもつはずだった。しかし実際には、インフレをもたらさず、資産インフレをもたらすだけだった。
では、なぜ、量的緩和が過剰でも、インフレが発生しなかったか? それは、投資も消費も増えなかったからだ。(それゆえ、物価も上がらず、日銀は過剰に量的緩和をし続けた。)
では、なぜ、投資も消費も増えなかったか? そこが肝心だ。そのことに、本項の結論が答える。つまり、「それは賃上げ不足だったからだ」と。
当時、企業業績は、急速に回復していたのだから、十分な賃上げを実施できたはずだ。しかるに、大幅な収益向上があっても、その金は、賃上げには回らなかった。あくまで、企業の内部留保となった。その結果は? 消費は賃上げ不足のまま、拡大しなかった。一方で、企業の内部留保は「財テク」や「土地転がし」などの資産投資に向けられた。かくて、「消費不足による量的緩和」および「企業の内部留保による余剰資金」という、二重の資金過剰によって、「資産インフレ」というバブルが発生した。
企業は当時、「生産性基準原理」を唱えて、賃金を抑制しようとした。「インフレを防ぐため」と主張して、とにかく賃上げを抑制しようとした。そして、その結果、たしかに、「インフレを防ぐ」ことには成功したが、かわりに、資産インフレが発生した。(もしインフレが発生していたら、その時点で、日銀は金融引き締めに転じていたはずなので、バブルは膨張しなかったはずだし、そのあとのバブル破裂も発生しなかったはずだ。)
要するに、「賃上げを抑制しよう」という行動は、マクロ的には、国内需要の縮小を招くのである。その結果が、経済成長の不足であり、かわりに発生する資産インフレであった。さらにそのあと、バブル破裂が起こり、十年不況も起こった。……いずれも、「自社の収益を向上させよう」とばかり狙って、賃下げばかりを狙った結果、マクロ的には、需要の縮小を招いて、状況をどんどん悪化させたのである。
だから、バブル期やバブル破裂や十年不況について、「日銀が悪い」と日銀ばかりを責めるのは、ちょっとかわいそうである。本当の責任者は、別にいるのだ。誰か? それは、経済学者だ。
本当ならば、経済学者が、正しい事実を指摘すれば良かったのだ。「賃上げが不足だと、とんでもないことになりますよ。バブル膨張、バブル破裂、デフレ、……そういうのが来て、日本を破滅させますよ」と。
なのに、経済学者は、それを指摘しなかった。本項に書いてあるとおり、マクロ経済の教科書を読めば、「適正な賃上げが経済には必要だ」とわかるはずなのだ。なのに、教科書も読まずに、勝手にデタラメなことを言っていた。
「資産インフレで日本の富が莫大に増えた。ハッピー!」
「財テクで儲けよう! 働かずに儲けるのが一番利口だ」
「日本式経営があるから、成長するのだ! 日本人は外国人よりも賢明だ!」
「投資を増やせば、経済が成長する。かくて経済は、無限成長する!」
などと。……彼らは、そういう夢想ばかりを唱えていた。経済学の教科書には目をつぶっていたのだ。(というか、経済学の教科書が、難しすぎて、わからなかったのだろう。彼らの幼稚な頭には。)
そして、今もそうだ。彼らはまたしても、全然見当違いなことばかりを述べている。「構造改革が大事だ」「不良債権処理をすべきだ」「金融システムが問題だ」「企業向けの減税をして、収益性を向上させるべきだ」「投資減税をして、生産を拡大するべきだ」などと。そうして、「マクロ的な総需要縮小」を放置して、デフレを悪化させている。
すべては、経済学者がデタラメばかりを言っているせいなのだ。日銀も愚かだが、その何十倍も愚かなのが、経済学者たちだ。彼らはマクロ経済の教科書すらも理解できない。「適正な賃上げ」も理解できないし、「所得の増加による消費の拡大」も理解できない。そのあげく、消費を増やすことには目もくれず、単に投資ばかりを増やそうとしている。(たとえば、「量的緩和」である。その行きつく先は、バブル期と同じで、「資産インフレ」である。実体経済の拡大を意味する「インフレ」ではない。なのに、その違いが理解できない。)
こういう狂気と無知の経済学者たちこそ、今の日本のデフレの主犯なのだ。(従犯は、無能な政府と、阿呆な企業経営者。)
● ニュースと感想 (6月15日)
ここのところ(6月01日 〜 6月03日 以降)、賃上げと景気について述べてきた。では、そういうことで、何を言いたかったのか?
それは、「企業の収益性向上で景気回復」というシナリオへの批判である。
政府は現在、景気回復策と称して、「投資減税」「法人税減税」などを実施しようとしている。それで景気が回復すると信じ込んでいる。なるほど、そのことで、投資が増える効果はあるだろう。少しぐらいは。
そもそも、金利がゼロになっても、投資が増えない。「だから補助金を出して、投資をやらせる」という発想だ。── 実は、これは、「マイナスの実質金利」というのと、似た発想である。違いがあるとすれば、規模が極端に小さいことだけだ。「マイナスの実質金利」ならば、十兆円程度の補助金を企業に与えることになるが、上記のような企業向け減税ならば、あまりにも規模が小さい。
ただ、規模の大小はともかく、狙いそのものがまったくずれているのだ。── それが、私の批判だ。
「企業の収益性を向上する」という狙い。それ自体が、まったく見当違いなのである。なぜか? たとえうまく企業の収益性が向上しても、消費はほとんど増えないし、景気もさしてよくならないからだ。(消費増加の効果がまったくないわけではない。少しはあるだろう。しかし、そのような「おこぼれ効果」は、あまりにも小さすぎる。)
今春、トヨタは1兆円もの収益を得た。ならば、その1兆円という収益に応じて、適切な賃上げをするべきだった。そうすれば、その分、消費は増えただろう。しかしトヨタは、1兆円もの収益を得ても、賃上げをゼロにした。それを見た他企業は、賃上げゼロのかわりに、賃下げをした。かくて、総需要は縮小し、景気はさらに悪化していった。(所得の総額も減った計算になるが、消費性向も下がっただろう。賃下げがあれば、不安に駆られて、消費性向が下がるのが当然だ。)
これが現実だ。なのに、そういう現実を見ても、経済学者は、「企業の収益性を上げよ。そうすれば、景気は回復する」と主張している。頭の回路が狂っているとしか思えない。
企業の収益向上に対しては、適切な賃上げがあるべきなのだ。そして、そうならない状況(すでに赤字が蓄積しているので、収益はまず赤字解消に向かう状況)のときは、収益性を向上させても、消費は増えないのだ。単に、企業の帳簿において、赤字の数字が小さくなるだけなのだ。(あと、銀行の金庫には、企業から返済された金が蓄積する。その蓄積した金は、もちろん、投資には向けられず、単に退蔵されるだけだ。)(なお、その金が退蔵されなければ? その金は、資産投資に向かって、資産インフレを引き起こす。バブルの再発生と、再破裂。……その間、消費はろくに増えない。実際、バブル期も、少しばかりのインフレを起こすのと引き替えに、莫大な資産インフレを発生させた。)
「収益性の向上で、景気をよくする」という説は、通常の景気のときであれば、成立するだろう。収益性が向上すれば、賃上げがあるだろうし、そのことで、消費も増えるからだ。しかし、デフレのときには、そういうふうにはならない。「収益増 → 賃上げ」という経路が遮断されている。正常な経路が働かないのだ。一種の「罠」に、はまったようなものだ。
こういうことを理解しないまま、「収益性の向上」だけを唱えていても、景気の回復は望めない。「投資減税」「法人税減税」なんてのは、まったくの見当違いだ。そのことを、私は主張してきたわけだ。
( ※ だいたい、「総需要」というものを考えれば、こういう話は当たり前のことなのだ。マクロ経済学の基本である。なのに、「総需要」という概念もわからないまま、「収益性がどうのこうの」と論じるところに、今のエコノミストたちの根本的な間違いがある。)
( ※ 核心は : 「労働分配率の不足」≒「総所得の縮小」≒「総需要の縮小」≒「需給ギャップ発生」≒「不況」)
[ 付記 ]
企業が賃上げをしないから、その分、国は減税をしなくてはならない、── と言えるかもしれない。
企業が賃上げをしないと、不況のときは、金は、投資にも消費にも向かわず、銀行に退蔵されるだけだ。かくて、不況の悪循環となる。そこで、この退蔵された金を、「減税」という形にして、国民に渡し、経済を正常な軌道に戻すわけだ。
もし企業が十分な賃上げをしていれば、その分、減税の規模は小さくて済む。いちいち国が出しゃばらなくても、民間企業だけで不況の悪循環から脱することは可能なのである。(賃上げによるインフレ効果)
ただし、経営者は、愚かだから、目先の利益ばかりにこだわる。次の [ 余談 ] のようになる。そこで、愚かな経営者のかわりに、国が「減税」をして、労働分配率が不足することの穴埋めをしてやることが必要となるわけだ。
( ※ 「減税」と似ているようでも、「公共事業」というのは、事情が全然異なる。「減税」では「企業が金を出さないなら、私が金を出そう」と言って、国があなたの財布に金を入れる。「公共事業」では、「きみがお金を使わないのなら、私が金を使ってあげよう」と言って、国があなたの財布の金を勝手に使う。泥棒だ。)
( ※ ついでに、イヤミ。企業は、労働分配率を下げたければ、本当にそれを実施すればいいのだ。特に、初任給を下げるべきだ。……ところが実際には、中高年の賃金を下げて、初任給を上げる。そして「わが社は初任給が高いよ。優秀な若者は、わが社に来てくださいね」と宣伝する。入社前の人には、「高給はすばらしい」と言い、入社後の人には、「高給はけしからん」と言う。まったく、二枚舌だ。企業は、自分の主張の通り、初任給を下げなさい。そうしてダメ社員ばかりを集めればいい。「高給を出しますよ」と口車で釣って、薄給にするのでは、詐欺だ。犯罪だ。嘘つきは泥棒の始まり。……企業経営者のいるべき場所は、豪華な社長室ではなくて、監獄なのだ。)
[ 余談 ]
たとえ話。
離れ小島に、Kという王様がいました。「この島の会社は、全部、国有化して、わしのものにする」と宣言しました。
王様は、うまく財産を独り占めして、大喜び。島の会社も、すべて王様のものになりました。
王様はもっと欲張りました。「もっと金が欲しいな」と。すると、日本の経団連がアドバイスしました。「労働者に賃金をなるべく払わなければいいんですよ。そうすれば、会社の収益は上がります」と。
王様はさっそく、そのアドバイスに従いました。「賃金はゼロにする」と。
かくて、王様は、あらゆる所得を独占することに成功しました。日本の経団連も、王様を称賛しました。「企業収益は最高です。あなたは最高の経営者です」と。
さて。国民は、所得がゼロになったので、何も買えなくなりました。全員、食糧も買えずに、餓死してしまいました。島に残ったのは、王様一人だけ。もう畑を耕してくれる人はいなくなりました。生産はゼロです。
つまり、王様は、所得の 100%を独占することに成功しましたが、所得の総額がゼロになってしまったのです。しかしそれでも、ゼロの 100%を独占できたので、王様は満足でした。王様は、満足しながら、餓死してしまいました。
しかし、そのことを知らない日本の経営者とマスコミは、「王様を見習おう」というキャンペーンを繰り広げました。「企業の収益率を上げよう。企業に減税を! 従業員には賃下げを!」と。そうして収益率を上げることをめざしながら、収益の幅をどんどん減らしていったので、多くの企業は、収益がゼロになってしまいました。それでも、ゼロの 100%を独占できたので、企業は満足でした。企業は、「労働分配率を下げることに成功した」と満足しながら、つぶれていきました。
● ニュースと感想 (6月16日)
前日分の補足。最近の減税論議。
「減税するなら、バラマキ減税よりは、研究開発減税や投資減税の方がいい。そうすれば、企業の体質強化に役立つ」
という主張がある。一見、もっともらしい。そこで、批判しておく。
その主張は、実は、次の両者を同時実行することを意味する。
・ 減税による、財政支出の増大。
・ 富の配分比率の変更。国民から、企業へ。
一見、企業向けの減税というのは、企業に富を渡すということだけを意味するように見える。実は、そうではない。そのとき、物価上昇が起こる。国民は、物価上昇の分、富を失う。企業は、富を得るので得をするが、その分、国民は損をする。つまり、富の配分変更が起こって、国民の金を、企業に渡すことになる。
ただ、同時に、財政支出の増大により、インフレ効果が発生するから、景気回復効果もあることはある。
「企業に金を渡せば、企業が得をするから、景気が回復する」と間抜けな経済学者は主張する。しかし、それは勘違いなのだ。企業が得をしたとき、その分、国民は損をしているのだ。(直接的には金を奪われないが、物価上昇の分、富を奪われる。そこに気づくことが大事。)
さて。こういうふうに、国民に損が発生するのは、もちろん、「労働分配率を下げる」というのと、同じ効果をもつ。そして、すでに述べてきたことからわかるように、労働分配率を下げることは、不況のときには、景気をいっそう悪化させる効果をもつのだ。
というわけで、上記の主張は、間違っているわけだ。
より本質的に示そう。上記の主張は、本質的には、どこが間違っているか?
「需要不足のときには、供給の質をいくら改善しても、効果がない」
ということだ。論者は、「供給の質を改善せよ」「生産性を改善せよ」と主張する。よろしい。それで生産性が改善したとする。で、どうなるか? 生産は増えるか? もちろん、増えない。なぜなら、需要が頭打ちだからだ。
需要が頭打ちのときには、生産性を向上させても、何の意味もないのだ。これまで 100 を生産していて、80が売れているときに、120を生産しても、余剰の在庫が増えるだけだ。実際には、値崩れするだけ、企業の収益性は悪化する。企業は仕方なく生産調整するだろうが、それにともなって、必要な労働力が減るので、失業者が増える。(この件、何度も述べたとおり。生産性の向上にともなって、失業が発生する。)
生産性の向上が有益であるのは、需要が頭打ちでない場合だけだ。需要が頭打ちでなければ、120を生産すれば、120を販売できる。企業も労働者も得をする。そういうことが、普通の景気のときには、成立する。しかし、不況のときには、そういうことが成立しないのだ。
経済悪化の原因が、需要側にあるときは、供給側をいくら改善してもダメだ。やればやるほど、状況は改善するどころか、悪化する。……そこに気づかずに、やたらと「供給を改善せよ」というのが、サプライサイドの経済学である。「構造改革」というのもそうだ。
こういうふうに、まったく正反対の処方をするから、日本の景気は改善しないのである。
[ 付記 ]
去年から、「ザ・ゴール」という本がベストセラーになっている。そこでは、「ボトルネックを改善することが大事だ」と主張している。現在の経済は、需要が「ボトルネック」となっている。だから、ここを何とかしない限り、他のところをいくらいじっても、何の意味もないのだ。── そう理解することが大切だ。( → 1月08日 )
● ニュースと感想 (6月17日)
「資産インフレ」と「インフレ」との関連で、少し補足しておこう。(すでに述べたことと重複するかもしれないが。)
次のことが大事だ。
「インフレと資産インフレは、代替関係にある」
つまり、消費が多ければ、インフレが起こり、資産インフレは起こらない。消費が少なければ、インフレは起こらず、資産インフレが起こる。(両方が半々になることもありそうだ。)
だから、「資産インフレによって、インフレを招こう」という考え方は、間違っていることになる。資産インフレを起こせば、その分、インフレ効果が減る。かといって、「インフレが不十分だから、むやみやたらと量的緩和を過剰にやれ」というふうにすれば、途方もない資産インフレが起こる。(それがバブル期だ。)
インフレを起こしたければ、まさしくインフレを起こせばいいのだ。「資産インフレによってインフレを起こそう」というのは、話が横にずれているし、のみならず、話が逆方向でさえある。(インフレ効果をつぶすので。)
仮に、資産インフレを本当に起こしたければ? それなら、資産投資だけを促進して、消費を禁じればいいのだ。(所得の額は一定だから、一方を増やせば他方は減る。)
たとえば、消費を禁じるために、消費税を 100% ぐらいに上げて、必要最小限の消費しかできないようにする。余った金は、資産投資に向かうように、大幅な補助金を出す。── このことで、土地や株は大幅に上昇し、人々の資産も大幅に上昇する。ものすごい資産インフレが発生する。と同時に、消費が大幅に縮小するので、ものすごいデフレが発生する。
こうなると、人々は、金を投資にばかり使って、消費には使わないので、自動車も電器製品も全然売れなくなるし、外食などのサービス産業もみんな売上げが大幅減だ。ものすごいデフレとなる。失業率も急上昇だ。それでも、資産インフレは発生するので、人々は失業したまま、大金持ちになる。
このとき、一人あたりの資産は、十億円ぐらいになるだろう。資産インフレの効果である。人々の所有する資産の価格は大幅に上昇する。天文学的なインフレが発生するのに似て、天文学的な資産インフレが発生するわけだ。ただし、人々のもつ富自体は、少しも増えない。なぜなら、資産価格は上昇するとしても、資産の名目価格が上昇するだけだからだ。
ここでは、富自体は増えていない。そのことに注意しよう。そもそも、自動車や家電の生産量が減っているのであれば、富は減っているのである。「富が増えた」と錯覚できるのは、実際に商品を買うまでの間だけだ。実際に商品を買おうとすれば、猛烈なインフレが発生するので、買えない。結局、富は増えていない。……買うまでの間は、一般財の価格が下がっているので、たくさん買えるように思えて、富が増えているように思えるが、そう思えるだけのことだ。先んじて買った人だけは安く買えるが、国民全体を見れば安く買えるわけではない。多くの金で、多くを買えるように思えるが、物が生産されていないのだから、しょせん多くの物を得ることはできない。
資産インフレは、富の増大を意味しない。インフレのとき、一般商品の名目価格が上昇するように、資産インフレのとき、資産の名目価格が上昇するだけだ。富自体は増大しないのだ。ただし、「富が増えた」と勘違いして、「資産インフレはすばらしい」と思う人は多いが。
量的緩和は、資産インフレまたはインフレを起こす。量的緩和による金は、資産市場か、一般商品市場か、どちらかに流れ込む。そのどちらに流れ込むかで、資産インフレまたはインフレのどちらになるかが決まる。……だから、資産インフレは、インフレとは代替関係にある。一方が増えれば、他方が減るのだ。
その意味で、資産インフレは、インフレを抑制するのである。もう少し正確に言えば、資産インフレは、量的緩和によるインフレ効果を、食いつぶすのである。(なぜなら、資産投資を増やすことで、その分、消費と設備投資を減らすからである。) そして、そういうふうに「インフレを食いつぶす」ことは、「景気回復」とは逆の効果があるわけだ。
[ 付記 ]
この意味で、「資産インフレがあればインフレが起こる」という説は、事実を逆方向にとらえていることになる。なるほど、そういうプラス効果は少しはあるだろう。しかし、それをはるかに上回る分、マイナス効果があるのだ。
しかも、この資産インフレは、副作用が非常に大きい。相場を不安定化させることの弊害だ。
( → 5月26日 「不安定化の弊害」)
● ニュースと感想 (6月18日)
「賃上げと金利操作」について。
賃上げが不十分だと、インフレではなく、資産インフレ気味を招く。それを防ぐには、減税をすればいい── こう述べてきた。
ただし、実は、「減税」のほかに、もう一つ肝心な点がある。それは「金利操作」だ。つまり、「賃上げ不足」に対処するには、「減税」と「金利操作」の二つがある。
このことを以下で示そう。
これと似たことは、「ポリシー・ミックス」のところでも、すでに説明した。── 資産インフレ気味のときは、「減税」プラス「金利引き上げ」という、相反型のポリシー・ミックスを行なうとよい。そうすれば、消費を増やし、かつ、資産投資を抑えることができる。
( ※ 念のために言うと、すでに「資産インフレ」が発生している場合に、話は限る。今のように「資産デフレ」になっている場合には、話は当てはまらない。)
さて。このことは、賃上げとも関連する。
資産インフレが発生していて、賃上げが不十分なときは、「減税」を行なうだけでなく、「金利引き上げ」も実施するべきなのだ。それも、ほどほどではなく、かなり多く。場合によっては、年 8% というような、非常に高い金利も必要かもしれない。
こういう高金利は、もちろん、非常識である。企業はこぞって、大反対するだろう。しかし、場合によっては[ひどい資産インフレの場合には]、こういう非常識な高金利も、やむを得ないのだ。
( ※ 過度な「資産インフレ」が生じているときであれば、それをつぶすために、過度な高金利が必要となる。それを避ければ、あとで、十年不況のようなひどい状況を招きかねない。)
( ※ 「消費不足のときに高金利」というのは、経済学の常識に反するように思えるかもしれない。しかし、ここでは、「減税」も実施されるから、特に景気を悪化させるわけではない。)
( ※ なぜこのようなことが必要か? それは、配分比率の是正である。「賃上げ不足」という状況が生じているときは、富の配分が、消費者側には少なく、企業側に多い。そういうふうに、歪んでいる。そこで、その歪みを正すために、「減税 + 高金利」という形で、消費者側に富を与え、企業の側から金を奪うわけである。そういうことが必要だ、ということは、前に、「富の配分変更」の箇所で述べた。 → 4月24日 )
( ※ こういう富の配分変更は、企業にとって、損であるように思える。しかし、実は、こうすると経済成長率が高まるから、企業には、かえって得なのである。逆に、企業ばかりを優遇すると、総需要が減るため、成長が抑制されるので、企業にとってはかえって損なのである。……このことは、ここ数日、述べてきたとおり。)
さて。こういうふうに高金利が必要だとはいえ、あくまで、「資産インフレ」という歪んだ状態に対処するための、対症療法である。根本的な対策ではない。
では、根本的には、どうするべきなのか? もちろん、「資産インフレ」という歪んだ状況そのものを、是正することだ。では、根本的には、どうすればいいか? もちろん、消費を拡大することだ。
企業が何もしなければ、国が「減税」をする必要がある。しかし、本来なら、国のお世話にならず、企業が自発的に賃上げをすればいいのだ。そうすれば、縮小している消費が拡大するし、資産投資が過度にふくらむことがなくなるる。かくて、資産インフレからインフレへと、状況が変化する。あとは、普通の景気対策で景気をコントロールすればいい。
( ※ 実際には、企業は、正しいことをせず、余計なことをした。労働分配率を下げるということをした。だから、そういうときには、国が是正のために「減税」をする必要がある。……企業がまともであれば、「減税」の必要はない。)
( ※ 上記のことは、「企業に賃上げを強要せよ」という意味ではない。企業が勝手にどんどん労働分配率を下げていくと、総需要が縮小する。つまり、経済が歪む。だから、そういう歪みをなくすようにすればいい。つまり、馬鹿な企業に、正しい事実を教えてあげればいい。命令するのではなく、教えてあげればいい。「目先の得にこだわって、経済を勝手にねじ曲げると、かえって損しますよ」と。)
結局、経済学者は、企業に対して、「『舌切りスズメ』を読みなさい。富を独り占めしようと思うと、結局は損することになりますよ」と告げて、次のように説明するべきなのである。
- 「巨額な利益を上げているのに、賃上げをろくにやらないで、その金を、財テクと称して株式投資したり、土地転がしなどに資産投資したりするべきではない。(資産バブルを起こすべきではない。)」
「もしそんなことをするのであれば、金融当局は、大幅な金利引き上げを実施せざるを得ない」
「結局、企業としては、賃上げを受け入れるか、高金利を受け入れるか、二者択一である。(さもなくば日本がバブルで破綻する。)」
- 「賃上げを受け入れなければ、資産インフレをつぶすために、大幅な高金利となるので、企業は多大な利子払いを強要される」
「賃上げを受け入れれば、その分、低金利にできる。だから、企業としては、賃上げを恐れる必要はない」
「賃上げを受け入れれば、その分、総需要が拡大するので、企業は成長することができる」
「賃上げを受け入れなければ、総需要は拡大しないので、企業は、成長できない。縮小均衡か、現状維持か、である。」
- 「とにかく、賃上げとは、コストアップだけを意味するのではなく、総需要の拡大を意味する。そのことをちゃんと理解するべきだ。」
「そのことを理解できないようなら、経済学には無知なのだから、さっさと経営者の座から退くべきだ。経営者が無知のまま、その座にしがみついていれば、経営者の示す企業エゴによって、日本経済は破綻する。将来、資産インフレの膨張のあと、バブルが破裂して、多大な不良債権が発生し、日本は苦しむことになる」
経済学者は、こう言うべきなのだ。そして、こう言えなかったから、バブル膨張と破裂が生じて、日本経済は奈落の底に落ちていったのである。
[ 付記 1 ]
核心を簡単に示しておこう。
企業の経営者は、やたらと、企業業績ばかりを重視する。「賃金を下げよう。そうして企業利益を向上させよう」と。
しかし、そんなことをしても、総需要は拡大しないままで、企業利益だけが増えるから、その増えた金は、行き場がないので、資産投資に向かわざるを得ない。(設備投資もできない。消費が拡大しないせいで。)
経済が成長するためには、最適な賃上げによる、総需要の拡大がどうしても必要なのである。そして、そのことを理解しないと、経済成長のないまま、資産インフレを招くことになるのだ。
[ 付記 2 ]
「高金利」というのは、富を、企業から個人に移転させる(富の配分変更を行う)ことに相当する。だから、賃上げが不十分なときは、こうするのは当然であるわけだ。
「国民の富を、なるべく企業に移転させよう」というのは、「経済をいびつにしよう」ということであり、そういうことを企んでいる経営者の方が、よほど変なのである。「市場経済」というのは、なるべく自然な状態に導くことで、社会全体を最適化しよう、という思想だ。あえて経済をいびつな状態に導こうとする経営者は、頭がいびつなのである。
[ 付記 3 ]
資産インフレ(バブル)が破裂したあとで、日本経済が奈落の底に落ちていった。
ただ、そういうふうに奈落の底に落ちていったのは、「加速度原理」が働いていたからである。単に日銀の操作が失敗したからだけではない。
大きな力に抗するには、こちらも大きな力を出さなくてはいけない。なのに、日銀は、小さな力しか出さなかったから、大きな力に抗しきれなかった。
経済学者はこのことを、はっきり指摘する必要がある。単に「日銀が悪い」と責めるだけではダメなのだ。そういうふうに、他人の責任にしてばかり行くから、不況の現在でも、彼らは、日銀を血祭りに上げるだけで、自らの愚かさに気づかないのである。同じ穴のムジナ。
( ※ 私がここで批判しているのは、マネタリストだ。「不況のときには、量的緩和せよ」「流動性の罠なんか無視せよ」と唱える人々。彼らは、「日銀が蛇口を絞ったのが原因だ」と批判して、「蛇口をひろげれば不況は解決する」と主張する。……こういうふうに、何もかも蛇口だけで片付けようとするところに、彼らの愚かさがある。景気を良くするには、実体経済が拡大することが必要なのに、消費も生産も無視して、単に貨幣量だけで片付けようとする。……そういう愚かさを、私はずっと指摘してきた。特にここ数日は、「賃上げ」と関連して説明してきた。)
● ニュースと感想 (6月19日)
「研究開発費減税」や「設備投資減税」が、このところ何度も報道されている。しかし、こんな減税は無効であることが、「加速度原理」から説明できる。
景気の変動に対して、設備投資の変動は増幅される。景気が少し悪化すると、設備投資は大幅に減る。これが、「加速度原理」(の増幅効果)である。( → 6月10日 )
同じことは、研究開発費についても言える。景気が少し悪化すると、研究開発費は大幅に減る。なぜなら、「固定費の削減」による「コスト・ダウン」が、赤字削減のためには、緊急課題となるからだ。
企業が黒字である限りは、将来の成長のために、研究開発費を使う。(目先の利益のためではなく、長期的な観点から、そうする。→ 5月13日 「研究開発費はなるべく一定」)
しかし、赤字経営のときは、話は別だ。赤字になって、倒産してしまえば、元も子もない。「すばらしい技術を開発しました、会社は倒産しました」では仕方ない。だから、企業は、不況のとき(赤字経営のとき)には、研究開発費を大幅に減らす。急に減らすのは損なので、少々の不況では減らさないが、経営が非常に悪化したときは、大幅に減らす。
たとえば、不況期には、企業の売上げが 10% 減って、利益率はゼロまたは赤字になる。すると、研究開発費は 40% 削減、というふうになる。売上げの減少率に比べて、研究開発費の減少率はずっと大きい。(設備投資の減少率は、もっと大幅だろう。)
さて。こういうときに、「設備投資や研究開発費が減少したなら、補助金を出して増やせばいい」という発想がある。いわゆる「補助金漬け」の発想だ。(冒頭の「投資減税」もそうだ。)
しかし、たいていの補助金漬けがろくに効果がないように、これもまたろくに効果がない。企業が研究開発費や設備投資を減らしているのは、減らしたいから減らしているのではない。やむにやまれず、減らさざるを得ないのだ。こういうときに、補助金を与えても、効率はすこぶる悪い。
たとえば、普通の景気のときであれば、 10% の補助金で、企業は喜んでどんどん研究開発費や設備投資を増やすだろう。しかし、今のような不況では、 10% の補助金では、企業は、そういうことに金を使わない。しょせん、90% は自腹を切るのだ。それでいて、売上げ上昇の効果は、ほとんどない。「 90億円支出して、10億円の補助金をもらって、売上げの増加はゼロ」というふうになる。つまり、自腹を切った90億円がまるまる無駄になるだけだ。倒産に一歩近づく。
こういうふうに、「設備投資や研究開発費を促進する減税」というのは、不況期には、効果がない。(まったくないわけではないが、ほとんどない。) そして、その理由は、「加速度原理」なのである。
[ 付記 1 ]
わかりやすく言おう。千億円の財政支出で公共事業を実施すれば、千億円の需要創出効果がある。乗数効果も考えると、もう少し増える。一方、千億円の補助金(投資減税)で投資を増やすと、どうなるか? 「 10% の補助金だから、残りの 90% は民間企業が出すわけで、1兆円の投資拡大効果がある」とアホな経済学者は紙上計算する。しかし実際には、もともとあった 9000億円の設備投資に対して、1000億円の補助金をもらえるようになるだけだ。企業は、(9000億円に対する)追加分の設備投資を、新たに追加発注することはない。
( ※ というわけで、ほとんど効果はないわけだが、政府の統計を取るときには、官僚が勝手に「効果がありました」というデータを捏造するので、「十分な効果がありました」という報告がなされるだろう。── たとえば、公共事業の作成計画では、「大幅な黒字になります」「莫大な経済波及効果が出ます」という計画を、官僚は出す。実際にやってみると、それよりもずっと悪くなるが、官僚は、「予想が狂いました」と他人事のように言う。本当は、もともと、データの捏造をしていたんですけどね。良くやる手口。)
[ 付記 2 ]
投資減税は、効果がろくにない。では、どうすればいいか?
その答えは、「加速度原理」を正しく理解すれば、わかるだろう。「需要の増加」である。「減税」によって、総需要を拡大すればいいのだ。
すると、どうなるか? 最初のうちは、あまり効果がない。(加速度原理の増幅効果が小さい。)だから、規模の小さい減税では、効果はないままだろう。しかし、規模の大きな減税を実施して、いったん景気回復軌道に乗れば、(不況から回復したあとで)好況になりかけたころから、加速度原理が働くので、設備投資や研究開発費が大幅に増大する。
つまり、同じ金を使うにしても、投資減税というのは、ほとんど効果がないが、消費促進減税なら、(規模の大きなものであれば)、有効となるわけだ。
● ニュースと感想 (6月19日b)
ここまでの話を、いったん、簡単にまとめておこう。 (論点の整理。)
- 「景気回復」が、デフレの今、目的となっている。
- 「そのためには、量的緩和をして、インフレを起こせ」と主張する経済学者が多い。
- しかし、量的緩和をしても、インフレが起こるとは限らない。資産インフレになる可能性もある。
- 量的緩和により、インフレになるか、資産インフレになるかは、総需要(消費 + 設備投資)によって決まる。
- 消費が少ないときは、設備投資をしても、無意味である。こういうときに、量的緩和をしても、金は、設備投資には向かわず、資産投資に向かう。すると、資産インフレが発生する。(バブル期がその例。)
- 結局、インフレになるか資産インフレになるかは、消費が多いか少ないかによって決まる。
- 消費が多いか少ないかは、所得および消費性向によって決まる。
- 一般に、所得が少なくなるほど、消費性向も低くなる。(人間心理として当然。給料が減ったときほど消費を増やすのは、阿呆と破滅主義者だけ。)
- 一般的には、経済成長のためには、適切な賃上げが必要である。(賃上げ → 消費増加 → 経済成長 )
- かといって、賃上げが多すぎると、企業収益の悪化や、金利の引き上げを通じて、設備投資が少なくなる。
- 結局、賃上げが少なければデフレ気味(需要不足)になるし、賃上げが多すぎればインフレ気味(供給不足)になる。いずれの場合も、成長はそがれる。
- 最適な賃上げは、生産性の向上分である。
- 「労働分配率を下げれば、企業体質が強化されて、経済状況は良くなる」という説があるが、それは、誤った考え方である。マクロ経済学的な「需要」を無視しているからだ。
- 「設備投資をすれば経済は成長する(景気は良くなる)」という説は、必ずしも成立しない。
- 景気の山のあたりでは、成長は頭打ちになる。(経済は無限拡大しない。)そして、それゆえ、設備投資をいくら追加しても無駄であるし、かえって逆効果にすらなる。(供給過剰。)
- 景気の谷のあたりでは、設備投資をしても、効果はろくに出ない。しょせんは、供給過剰の状態を悪化させるからである。単純にデフレ・スパイラルになって、悪化の一途となることもある。一時的に好転して、上限振動することもある。(これは、投資が需要となって、一時的に成長する場合。当面はいいが、やがては供給拡大による供給過剰の効果が出て、悪化が進む。)
- 景気の山でも谷でもないときは、設備投資は経済成長をもたらすことが多い。ただし、過剰になれば、過剰の反動が出て、経済の上下振動を生む。
- さて、デフレの今は、どうするべきか? 消費増加のために、賃上げがあるのが好ましい。しかし、企業は収益性が悪いので、賃上げができない。となると、そのかわりに、国が減税して、金を渡すしかない。
- 減税があると、国民は、長期的には損得がないが、短期的には得する。それゆえ、減税には、当面は所得増加の意味があり、不況脱出の効果がある。
- 減税であれ公共事業であれ、同じことをやっても、効果には差が出る。(乗数効果の乗数が一定である、というようなことはない。) 普通の景気のときには、増幅効果が大きいので、一定の財政支出に対して、何倍もの波及効果が出る。景気の谷のときには、増幅効果が小さいので、波及効果は小さい。……だから、景気の谷のときには、かなり大規模な景気対策が必要である。(規模が小さいと、景気回復軌道に乗らないので、かえって金は無駄に消えてしまう。ケチるとかえって損する、ということ。)
だいたい、こういうことを述べてきたわけだ。詳しい話は、該当する箇所(あちこち)を参照。
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