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まず、今回の参院選結果を見てみよう。
今回の参院選結果は、途方もないものだ。着目すべきは、議席数ではなくて、票数だ。ここに民意が現れるからだ。
見ると、選挙区では、自民党が大勝しているが、それ以上に着目すべきは、民主党の惨敗だ。特に、公明党との比較だ。選挙区では、「定数2」のところではかなり議席を取っているが、「定数3」のところでは、どこであれ、公明党よりも少ない票しか得ていない。(かろうじて愛知県は例外。)
ということは、もし「定数3」だけでなく「定数2」の選挙区でも、公明党が候補を立てていたら、民主党は全滅していた、ということだ。(せいぜい1〜2議席ぐらいは取れたかもしれないが。)
比例区は、もっと象徴的だ。民主党が16%で、公明党が15%だ。ほとんど同じだ。野党で最大の政党でありながら、公明党と同じ程度しか取れない。仮に、公明党が全選挙区で候補を立てていたら、たぶん、その波及効果で、民主党は公明党よりも少しの票しか得られなかっただろう。
なお、今回はたまたま、公明党が準備をしていなかったので、民主党は「定数2」のところでも議席を得ることができた。しかし、次回の参院選では、そうは行かない。公明党はたぶん、「定数2」のところで、民主党への対立候補を立てるだろう。その場合、9割ぐらいで、民主党に勝てる。さらに、自民党が「公明党に選挙協力する」という方針を出せば、民主党は選挙区では1議席も得られないだろう。
つまり、今回の票数を分析する限り、民主党はもはや「泡沫政党」でしかありえない。選挙区では議席を取れず、比例区でいくらか取れる、というだけの政党にすぎないからだ。
次期の衆院選でも、話は同様だ。ここでは「定数1」の小選挙区制なのだから、民主党のような泡沫政党が議席を取れる可能性は限りなくゼロに近い。かろうじて比例区でいくらか取れるだけだ。それも、公明党と同程度、というだけだ。
次期衆院選でもそうだし、次期参院選でもそうだ。とにかく、泡沫政党となってしまう。
このようになった場合、もはや、民主党は、存在価値がなくなる。今の社民党や共産党と同じようなものだ。
そうなることがわかっているのに、鳩山は「現在の方針は正しい」と言い張っている。かくて民主党はひたすら滅亡への道をまっしぐらに進むことになる。
各議員は、それでもいいのだろうか?
鳩山は反省しない。鳩山は「改革」を口にするが、自己の「改革」ができない。こういう政党に留まっている限り、各議員はいっしょに心中するしかない。
だから、それがイヤなら、鳩山とはたもとを分かつべきだろう。
このホームページの「第1章」でも示したとおり、鳩山は政治家ないし党首としては、最悪の人物である。自党を壊滅させることしか能のない人物である。(かつて自分の選挙区でも、本人が落選寸前になった。それを今回、全議員に波及させたわけだ。はっきり言って、彼は「貧乏神」である。そばにいるだけで、「貧乏」「落選」が伝染する。)
民主党で心ある人は、鳩山からは独立した方がよい。そして、彼とは正反対の方針を立てるべきだ。
要するに、これは「小泉新党」の設立と同じだ。(党首が小泉となるかどうかは別として。)
当然、この政党は、国民の圧倒的支持を得る。「小泉支持」は世論で8割程度を得ているのだから、その大部分をがっぽりもらって、当選する。自民党の議員は、これまで何をやっていたかを思えば、国民の支持を得られるはずがない。戦いになれば、「小泉新党」の圧勝は、まず間違いない。
ただ、この新党は、いきなり立ち上げても、大義名分がない。そこで、小泉の「改革」が抵抗勢力に抵抗された時点で、「改革の推進」「抵抗からの離脱」を掲げて、新党樹立すればよい。
ここでは、当然、抵抗勢力は入党できない。また、小泉に反対ばかりしていた鳩山も入党できない。
とにかく、このような政党の設立の準備に向けて、当面、「反・鳩山」かつ「親・小泉」の親睦会を、民主党内に設立するべきだろう。
なお、鳩山が腹黒ければ、「この親睦会への参加を禁止」という方針を打ち出すだろう。その場合は、一気に、離党して、新党を樹立すればよい。坐して死を待つよりは、その方がいいだろう。残っていても、かつての社会党のようになるだけだ。
民主党のうちには、
「自民党の首相では、改革はできっこない」
と思っている議員もいるかもしれない。そういう議員に問いたい。あなたは何のために政治家になったのか、と。
金を儲けるためか? 地盤を引き継ぐためか? 権力家になりたかったからか? そうではあるまい。日本の現状はこのままではいけない、と感じて、何とかして現状を変えねば、と思ったからであるはずだ。
ならば、改革は、「できるか、できないか」ではない。「やるか、やらないか」なのだ。「できる、できない」などと口だけで批評するのは、批評家に任せておけばよい。政治家たる者は、「やるか、やらないか」が問題なのだ。
「自民党の首相では、改革はできっこない」
と言い張る人は、こう思っているのかもしれない。
「小泉は無能なくせに自惚れて、改革ができると楽観している」
と。
しかし、これは、勘違いだ。小泉は、「改革ができる」と楽観しているわけではない。むしろ逆だ。「改革は非常に困難だ」と感じている。しかし、それにもかかわらず、「日本は今どうしても改革をしなくてはならない」と判断し、「困難であっても取り組もう」と立ち向かったのだ。「できるか否か」を考えたのではなく、「なすべきか否か」を考えたのだ。そして「やるか否か」について決断したのだ。
小泉は「やるか否か」をテーマにして、腕まくりして、参院選に立ち向かった。それに引き替え、民主党は、「できるか否か」を参院選のテーマにした。「どんなに困難でも立ち向かおう」とするのでなく、「できっこない」と言い張るだけだ。本当に、情けない。腰抜けであり、意気地なしであり、女の腐ったような連中だ。(という表現はちょっと性差別的でまずいな。でも、実にぴったりな表現。)
そもそも、人間の質が異なるのだろう。小泉はおのれの命を投げ出す覚悟で、改革に立ち向かっている。民主党内に、一人でも、そういう気概のある人間がいるのか。私は、そう問いたい。
[ 付記 ]
もしそういう人物がいれば、一人でも立ち上がるだろう。いなければ、全員、鳩ぽっぽのまわりでピーピー言っているだけだろう。
鳩山が改革の「妨害勢力」であることは、簡単に証明できる。本人がそれを公言していたからだ。
参院選の公約を見ればいい。「政権交代なしでは、改革はできない」と言っていた。そして、選挙結果では、政権交代なしだった。だから、三段論法によって、「改革はできない」ことになる。
政権交代なしでは、改革はできない
政権交代なし
改革はできない
→ 第2章 「選挙結果への感想」
→ 第1章 「(3) 選挙の目的」
→ 第1章のなかの、次の文句。
「野党というものは、与党に対抗するのが目的なのではない。野党がどうのこうのというより、そもそも政党というものは、国民の要求を理解して、その声を代弁するのが目的なのだ。」
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