次期衆院選について



 《 概説 》
 2001年7月末の参院選の結果を、どう解釈するべきか?
 この結果からすると、次期の衆院選では、民主党は壊滅状態になる可能性が強い。自民と公明で、8割以上の議席を占めることもありそうだ。このような一方的な状態になることは好ましくない。しかるに、鳩山は今回の結果に対してもまったく無反省なので、自党の壊滅に向かってまっすぐ突き進むことになりそうだ。
 これに対しては、党内の「改革派」が離党することが好ましい。現在の民主党に留まっていても、当選は絶対にできない。ならば、「妨害勢力」の一角にすぎない鳩山からは離脱して、真の「改革派」としての旗揚げをするべきだ。
 自民党の守旧派は抵抗勢力だし、「反・小泉」唱える鳩山は妨害勢力だ。だから今回の選挙では、「どこにも投票する政党がない」と嘆いていた人が多い。そういう人たちの票をごっそり獲得することができるだろう。
 旗揚げしたら、「小泉クラブ」とでも名付けるとよい。当面は、党内の親睦会として存在する。一方で、自民党内の「反・抵抗勢力」と連携する。将来、抵抗勢力がのさばった時点で、一気に新党を樹立し、「反・抵抗勢力」かつ「親・小泉」を掲げるとよい。ここでは、鳩山のような「妨害勢力」は入党させないことが大事だ。

 参院選結果の解釈

 まず、今回の参院選結果を見てみよう。
 今回の参院選結果は、途方もないものだ。着目すべきは、議席数ではなくて、票数だ。ここに民意が現れるからだ。
 見ると、選挙区では、自民党が大勝しているが、それ以上に着目すべきは、民主党の惨敗だ。特に、公明党との比較だ。選挙区では、「定数2」のところではかなり議席を取っているが、「定数3」のところでは、どこであれ、公明党よりも少ない票しか得ていない。(かろうじて愛知県は例外。)
 ということは、もし「定数3」だけでなく「定数2」の選挙区でも、公明党が候補を立てていたら、民主党は全滅していた、ということだ。(せいぜい1〜2議席ぐらいは取れたかもしれないが。)
 比例区は、もっと象徴的だ。民主党が16%で、公明党が15%だ。ほとんど同じだ。野党で最大の政党でありながら、公明党と同じ程度しか取れない。仮に、公明党が全選挙区で候補を立てていたら、たぶん、その波及効果で、民主党は公明党よりも少しの票しか得られなかっただろう。
 なお、今回はたまたま、公明党が準備をしていなかったので、民主党は「定数2」のところでも議席を得ることができた。しかし、次回の参院選では、そうは行かない。公明党はたぶん、「定数2」のところで、民主党への対立候補を立てるだろう。その場合、9割ぐらいで、民主党に勝てる。さらに、自民党が「公明党に選挙協力する」という方針を出せば、民主党は選挙区では1議席も得られないだろう。
 つまり、今回の票数を分析する限り、民主党はもはや「泡沫政党」でしかありえない。選挙区では議席を取れず、比例区でいくらか取れる、というだけの政党にすぎないからだ。

 次期衆院選

 次期の衆院選でも、話は同様だ。ここでは「定数1」の小選挙区制なのだから、民主党のような泡沫政党が議席を取れる可能性は限りなくゼロに近い。かろうじて比例区でいくらか取れるだけだ。それも、公明党と同程度、というだけだ。
 次期衆院選でもそうだし、次期参院選でもそうだ。とにかく、泡沫政党となってしまう。
 このようになった場合、もはや、民主党は、存在価値がなくなる。今の社民党や共産党と同じようなものだ。
 そうなることがわかっているのに、鳩山は「現在の方針は正しい」と言い張っている。かくて民主党はひたすら滅亡への道をまっしぐらに進むことになる。
 各議員は、それでもいいのだろうか? 

 対策

 鳩山は反省しない。鳩山は「改革」を口にするが、自己の「改革」ができない。こういう政党に留まっている限り、各議員はいっしょに心中するしかない。
 だから、それがイヤなら、鳩山とはたもとを分かつべきだろう。
 このホームページの「第1章」でも示したとおり、鳩山は政治家ないし党首としては、最悪の人物である。自党を壊滅させることしか能のない人物である。(かつて自分の選挙区でも、本人が落選寸前になった。それを今回、全議員に波及させたわけだ。はっきり言って、彼は「貧乏神」である。そばにいるだけで、「貧乏」「落選」が伝染する。)
 民主党で心ある人は、鳩山からは独立した方がよい。そして、彼とは正反対の方針を立てるべきだ。

 要するに、これは「小泉新党」の設立と同じだ。(党首が小泉となるかどうかは別として。)
 当然、この政党は、国民の圧倒的支持を得る。「小泉支持」は世論で8割程度を得ているのだから、その大部分をがっぽりもらって、当選する。自民党の議員は、これまで何をやっていたかを思えば、国民の支持を得られるはずがない。戦いになれば、「小泉新党」の圧勝は、まず間違いない。
 ただ、この新党は、いきなり立ち上げても、大義名分がない。そこで、小泉の「改革」が抵抗勢力に抵抗された時点で、「改革の推進」「抵抗からの離脱」を掲げて、新党樹立すればよい。
 ここでは、当然、抵抗勢力は入党できない。また、小泉に反対ばかりしていた鳩山も入党できない。
 とにかく、このような政党の設立の準備に向けて、当面、「反・鳩山」かつ「親・小泉」の親睦会を、民主党内に設立するべきだろう。
 なお、鳩山が腹黒ければ、「この親睦会への参加を禁止」という方針を打ち出すだろう。その場合は、一気に、離党して、新党を樹立すればよい。坐して死を待つよりは、その方がいいだろう。残っていても、かつての社会党のようになるだけだ。

 民主党議員に問う

 民主党のうちには、
 「自民党の首相では、改革はできっこない」
 と思っている議員もいるかもしれない。そういう議員に問いたい。あなたは何のために政治家になったのか、と。
 金を儲けるためか? 地盤を引き継ぐためか? 権力家になりたかったからか? そうではあるまい。日本の現状はこのままではいけない、と感じて、何とかして現状を変えねば、と思ったからであるはずだ。
 ならば、改革は、「できるか、できないか」ではない。「やるか、やらないか」なのだ。「できる、できない」などと口だけで批評するのは、批評家に任せておけばよい。政治家たる者は、「やるか、やらないか」が問題なのだ。
 「自民党の首相では、改革はできっこない」
 と言い張る人は、こう思っているのかもしれない。
 「小泉は無能なくせに自惚れて、改革ができると楽観している」
 と。
 しかし、これは、勘違いだ。小泉は、「改革ができる」と楽観しているわけではない。むしろ逆だ。「改革は非常に困難だ」と感じている。しかし、それにもかかわらず、「日本は今どうしても改革をしなくてはならない」と判断し、「困難であっても取り組もう」と立ち向かったのだ。「できるか否か」を考えたのではなく、「なすべきか否か」を考えたのだ。そして「やるか否か」について決断したのだ。
 小泉は「やるか否か」をテーマにして、腕まくりして、参院選に立ち向かった。それに引き替え、民主党は、「できるか否か」を参院選のテーマにした。「どんなに困難でも立ち向かおう」とするのでなく、「できっこない」と言い張るだけだ。本当に、情けない。腰抜けであり、意気地なしであり、女の腐ったような連中だ。(という表現はちょっと性差別的でまずいな。でも、実にぴったりな表現。)
 そもそも、人間の質が異なるのだろう。小泉はおのれの命を投げ出す覚悟で、改革に立ち向かっている。民主党内に、一人でも、そういう気概のある人間がいるのか。私は、そう問いたい。
 [ 付記 ]
 もしそういう人物がいれば、一人でも立ち上がるだろう。いなければ、全員、鳩ぽっぽのまわりでピーピー言っているだけだろう。


 [ 補記 ] 

 選挙結果の評価

 民主党の勝敗を見るには、(当時の)現有議席数と比較するのでは正しくない。
 なぜなら、前回、自民党の当選者数は48だったが、その後、野党(など)から自民党に鞍替えした人たちがいたからだ。それで、自民党の議席数は61に増えた。つまり、13議席増えた。
 一方、前回は野党として当選した分は、今回は「民主党」となるはずなので、民主党は、現有の 22 に 13(弱) を加算した 35(弱) という議席数を得ねばならなかった。それでようやく、前回並みとなる。なのに、実際には 26 だったのだから、惨敗なわけだ。
 さらに、民主党だけでなく、野党全体としてみれば、それこそ大惨敗である。
 「26議席は善戦だ」などと自己評価するのは、とんでも勘違いである。民主党は、自民党の議席を奪ったわけではない。共産党や社民党の議席を奪ったのだ。野党同士で共食いして、野党全体の議席を減らして、それでいて「自分は善戦した」と言い張るようでは、野党のリーダーたる資格はない。(政権を取るつもりなど、もともと無いのだろうか。)
 「逆風のなかではよく頑張った」と自己評価するのも、勘違いである。「逆風」などは吹いていない。吹いたのは「風」だけだ。その風にあえて逆らったくせに、「逆風」と呼ぶのは、話が変だ。自分が風に逆らうように向きを変えたから「逆風」になったのに、それを「逆風が吹いた」などと自然現象のごとく見なすのは、無責任きわまりない。
 なお、野党の敗因については、第1章「野党」を参照。

 鳩山が妨害勢力であること

 鳩山が改革の「妨害勢力」であることは、簡単に証明できる。本人がそれを公言していたからだ。
 参院選の公約を見ればいい。「政権交代なしでは、改革はできない」と言っていた。そして、選挙結果では、政権交代なしだった。だから、三段論法によって、「改革はできない」ことになる。

政権交代なしでは、改革はできない
政権交代なし

        改革はできない

 つまり、鳩山の主張によれば、「小泉政権の下では、改革はできない」ということになるわけだ。これすなわち、改革の妨害である。(小泉は「改革する」と言っているし、多くの議員も「改革する」と言っているのに、あえてそれを否定して邪魔するわけだ。)
 自民党の「抵抗勢力」が誰であるかは、見当はつくが、明確にはなっていない。ただし、鳩山が「妨害勢力」であることは、白日のもとにさらされている。新聞の全面広告を使って、大々的に「改革はできない」と主張したのだ。彼が嘘つきでなければ、彼は完全な「妨害勢力」である。
 民主党の心ある議員は、鳩山から離脱するべきだ。それができなければ、「改革はできない」と主張する鳩山と同じ穴のムジナとなることになる。ならば当然、次の選挙では、公明党以下の票しか得られず、落選は確実だろう。(それは年内になる可能性もある。)

 鳩山が聡明である可能性

 以上では、鳩山を頭が悪いと見なしている。しかし、そうではない可能性もある。鳩山は実は、非常に聡明である可能性がある。
 鳩山もそうだが、世の中には「民主党は小泉と対立するべきだ」と強く主張した人々がいた。これらの人々は、あらかじめ、すべてを見通していたのかもしれない。つまり、今日のように、民主党の票が激減することがわかっていて、あえてそうなるように仕向けたのかもしれない。
 とすれば、同じ方向を維持して、次期の衆院選で民主党を壊滅させる、というのも、あえてそう意図しているのかもしれない。
 鳩山はもともと自民党の出身である。それで、「民主党壊滅」の密命を帯びているのかもしれない。だとしたら、彼はまさしく、その密命を成功させたことになる。何と聡明であることか! 
 世の中で、「民主党は小泉と対立するべきだ」と強く主張した人々は、いずれも、うわべでは反自民の形をとって、内心、民主党壊滅を企んでいたわけだ。すばらしく狡猾だ。まったく頭がいい。もし本当にそうだったとすれば、それを見抜けなかった私は、自分の愚かさを反省して、シャッポを脱ごう。



 《 参考 》
→ 第2章 「選挙結果への感想
→ 第1章 「(3) 選挙の目的
→ 第1章のなかの、次の文句
 「野党というものは、与党に対抗するのが目的なのではない。野党がどうのこうのというより、そもそも政党というものは、国民の要求を理解して、その声を代弁するのが目的なのだ。」




 《 後日記 》   [ 2001-08-08 ]
 参院選後、自民党の「抵抗勢力」は、あまり牙をむくこともなく、結構おとなしくしているようだ。これは、意外だった。
 なぜおとなしくしているかといえば、自民党が大勝したためであるらしい。あまりにも大勝の結果が出たので、「抵抗して議席を失うくらいなら、黙っておとなしくしていた方がいい。」ということのようだ。
 とすれば、民主党が大敗したのも、「改革推進」のためには、それなりの効果があったことになる。民主党は自らを殺すことで、小泉改革に協力したわけだ。
 まことに皮肉な結果ではある。ただ、日本のためには、これでよかったのかもしれない。
 しかし、今の時点になっても、民主党が混乱していて、自らのなすべきことがわからないのは、困りものだ。やはり、滅亡に向かって、ひたすら突き進むのだろうか? 


 《 後日記 》   [ 2002-01 ]

 2002年の 1月24日 の箇所に、新たな感想を追加しておいた。







「小泉の波立ち」
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